2017年05月16日 (火)

今日のお題:自分との対話

なにをどう血迷ったのか、英会話教室なるものに行ってみました。

まずは自由にお話しをしてから、その表現を再検討してみましょうということで、まず最初のお題は

ゴールデンウィークなにやってた?

です。

ゴールデンウィークですって? なにやってたかなぁ。なにしろ、昨日のことすらちゃんと覚えていないのに……。

授業の準備か、疲れて寝てるかだったか。あいわずすりーぴんぐえぶりでい

……非常に頭が宜しくない。英語表現以前のお話でございます。

ああ、そういや水族館に行ったね。あの水族館ってどこにあったのかなぁ。やはりすでに記憶がございません。

行ったけど、結局は子どもを見に行ったようなもので、なにか堪能したかということについてはなんとも。

いわば「子の楽しみを楽しむ」という所でしょうか。「子も亦た其の楽しみを楽しむ」かどうかは測りかねますが。→参考:『孟子』「梁惠王」下4

正直申しまして、日本語でもこんな会話をほとんどしたことがございません

自分に趣味やら――趣味と打って「須弥」が出た辺りでもうダメだなと思う――スポーツやらそういったものを日ごろからやっていないと、英会話教室なんてのに通ってはいけないのだと、どなたかのラジオで聞いたことがありますが、「嗚嗟、これか」と思い至った次第。

2017年05月15日 (月)

今日のお題:湯島聖堂探訪(2016年12月24日)

前日の研究会に続けて、以前からの懸案であった湯島聖堂を訪問。

2016年12月24日:湯島聖堂:01:門前.jpg
湯島聖堂門前

「今まで行ったことなかったんですか〜。」と言われると、まことに忸怩たる所ではございます。

もとより、むかし行った気もするのですが、当時はそこまで意識が高くなかったので、たんなる物見遊山であったようで、まるで記憶がございません。

じゃぁ今回は物見遊山ではないのか、と言われますと何とも返す言葉がございません

なんにしましても、改めての訪問でございます。

2016年12月24日:湯島聖堂:02:仰高門.jpg
仰高門

東側から参りますと最初にあるのが仰高門でございます。事務所前を素通りして、右手に鎮座ましましておりますのが、世界最大の孔子銅像だそうでございます。

2016年12月24日:湯島聖堂:03:孔子像.jpg
孔子像

まぁ、こちらの銅像でございますが、毎度思うのは、こういう所にも写真が置いてあるのですが、正面の写真だけ見ても大きさが分からないというところでございまして、何か対比できるものがないとどうにもいけません。ということで、こういう写真も撮ってみた次第。

2016年12月24日:湯島聖堂:04
孔子像対比

孔子にせよ観覧者にせよ顔が隠れておりますが、その大きさはおわかりいただけただろうか

などと、怪力乱神を語らないと言う孔夫子に怒られそうな――怒られるのはそこじゃないだろう――フレーズをのたまいながらさらに階段を上ると、

2016年12月24日:湯島聖堂:05
入徳門前

入徳門がございます。

「徳に入れるのか〜」、と不徳の致すところ満載の当方としましては、誠に有難い気持ちになりながら、結構な段数の階段を恨みつつさらに上る次第でございます。

2016年12月24日:湯島聖堂:06
入徳門

ちなみにこの入徳門は、関東大震災で被害を受けなかったそうで、聖堂のなかでは唯一の木造建築物なんだそうであります。1704年に作ったと言うことは、元禄越えたあたりですな。まだ徳川綱吉は生きてます
(追記:元禄末年でした。改元して宝永元年になります。適当に記憶だけで書いてはいけませんな)。


2016年12月24日:湯島聖堂:07
杏壇門

杏壇門をくぐりますと、遂に大成殿となります。

関東大震災で全部焼失して、コンクリで復元したとは言え、かつてここで儒学者と国学者とが学神祭論争を繰り広げたり、そのせいで大学本校自体が消滅したり、さらには、今日の東京国立博物館の出発点となる日本初の官製博覧会が開かれたり、さらには新聞縦覧所になったりと、文教の中心地なんだろうけど、絶対にそれって大成殿でやってはいけないよねということをやりまくったことに想いを馳せ、胸が熱くなった次第でございます。

というか、その前に、そもそも昌平坂学問所だったということに想いを致しなさい、と申し上げたい。

2016年12月24日:湯島聖堂:08

大成殿でございます。

寛政改革で大成殿を作る際には、朱舜水の「学宮図説」(1670)に基づいて徳川光圀が作らせたミニチュア(1/30スケールの木製模型)が参考になったそうです。できれば光圀も大成殿を作りたかったのでしょうが、『大日本史』とか作ったりして財政的にも体制的にも厳しくなったんでしょうね。

ちなみに後年、水戸に弘道館が作られたときは、この模型はまったく参考にされなかったわけで、神儒一致のまことに不思議な藩校になった次第。

2016年12月24日:湯島聖堂:09

大成殿に入ります。

2016年12月24日:湯島聖堂:10

釈奠器配置図でございます。ははぁ、こんな感じなんですねぇ。大変に参考になりますよ

真ん中にある「俎(そ)」は、所謂「俎上の魚」の俎でございまして、ここにお肉とか載せて差し上げるわけですが、さすがに平時には載せてございません。

2016年12月24日:湯島聖堂:11

全体を眺めますと、こんな感じでございます。孔子像に加えて孟子とかの継承者4人の像もございます。

とまぁ、まことに堪能しながら、ノンビリと出て参りますと、川を挟んで――嗚嗟、これが神田川なんですな――向こうの方になにやら不思議なドームが見えます。

2016年12月24日:湯島聖堂:12

これが水道橋なら東京ドームということで済むのですが――なにが済むんだか――、コトはそう簡単ではございません。

2016年12月24日:湯島聖堂:13

まぁ、なんのこたぁない、ニコライ堂なんですけどね。

正式名称「日本ハリストス正教会教団・東京復活大聖堂教会」ですから、こちらも立派な「聖堂」でございます。

立派どころか「大」まで付く聖堂ですので、まったくもって立派でございます。

今は色々と間に建屋やら駅舎やらが入っていますが、かつては聖堂の辺りからよくよく見えたモノなのだろうなぁとなんとも不思議に思われたり致します。

すくなくとも、大門と東京タワーですとか雷門とスカイツリーとかいうような、単純な新旧対峙とは異なる何かがそこにはあったんだろうと思ったり致します。まぁ、それ以前に、釈奠再開以前の文明開化満面の状況を考えますと、新旧対峙以前の何かがあったとも申せますが。

とは言え、釈奠と申しますか、孔子祭典会が再開されたところで、本当にそれがかつての孔子崇拝を意味したのかというとそうでもないようでございます。

イノテツこと井上哲次郎(1855-1944)先生がおっしゃるには、孔子は「平凡の非凡」なんだそうでございます。平凡なんだけど、どえらい平凡と言うことで。

孔子の人格を見ると何処か果して孔子の欠点といふ所でありませうか。私は色々考へて見たが孔子の欠点を挙げるといふことは余程困難であります。孔子でも絶対的に完全なりといふことは無論言へませぬ。

けれ共(ども)孔子は人間中最も欠点の少ない人であります。是が孔子のいけない点だといふ著しい所を挙げて言ふことは余程六つかしい。さう云ふ様な訳で。孔子はあらゆる方面を揃へてズッとヅ抜けて大きくなった。即ち平凡が非凡になった。平凡の非凡。そこが一番六つかしい

マァ孔子の経て来た所の道筋は能く分って居ります。貧賤なる学生からやり上げた。何でも無い様であるがそれならばどの学生でも孔子の様になれる。なれる訳だがさてやって見るとナカナカ大変なものであります。そこで益々孔子の偉大な所が分る。

大変な六つかしい所をズッと高い所までやつた。併しナカナカ入り易い所があるからして誰でもやればやれる筈であります。

井上哲次郎「孔子の人格に就いて(孔子祭典会講演)」1907年、『日本朱子学派之哲学(増訂五版)』富山房、1915年、726〜727頁、改行引用者


孔子の聖は徹底的に平凡を行き詰めたものであり、だから我々もこれに倣って孔子のようになれるんだ。まぁ、難しいんだけどもね――と哲次郎先生はおっしゃる。

「聖人、学びて至るべし」というのは昔からあるお話なのですが、しかしながら「平凡の非凡」という話になりますと、「聖人」というお話はどこかに行ってしまう。孔子を聖なる地位から引きずり下ろして、さらにこの身と地続きなところに据えて、拳拳服膺して咸(み)な其の徳を一にせよということになります。

結局の所、儒学はそうやって近代化――国民道徳化――されていったんだなぁということをぼんやり思いながら、帰途についた次第。

※訪問してからこの文章を書き上げるのに、どういうわけか半年近くかかりました。せっかく写真を撮ったので、たまにはupしてみようとか思ったのが間違いでした。

2017年05月10日 (水)

今日のお題:10MTVオピニオンさんに拙著『松陰の本棚』をご紹介いただきました

10MTVオピニオンさんに拙著『松陰の本棚』をご紹介いただきました。

吉田松陰が3年で読んだ本の冊数がスゴイ! | 10MTVオピニオン
http://10mtv.jp/pc/column/article.php?column_article_id=1077

「10MTVオピニオン」とは?
「10MTVオピニオン」は、各界の有識者たちによる撮り下ろし動画メディアです。国内外の情勢から、普遍的なテーマまで、さまざまな動画がご覧いただけます。
 http://www.imagineer.co.jp/10mtv/

だそうです。

あんなどうにもマニアックな本をご覧いただき、さらにご紹介までいただいたたことは、なんとも恐縮でございます。まことに感謝の念に堪えません。

さて、それ以上に当方の個人的な関心事としては、「10MTVオピニオン」を運営されている会社さんでございます。

「10MTVオピニオン」は、なんでもドコモと一緒に始めた事業とのことですが、

ドコモとイマジニア、ビジネスパーソン向け講義動画コンテンツ「10 M TV オピニオン」を提供 - ITmedia Mobile
http://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/1402/24/news102.html

当方のような人間にとりましては、イマジニアさんと申しますと、前世紀末にどれほどお世話になったか分かりません。

「なにを言っているんだオマエは」と仰る向きもあるやもしれませんが、つまりこういうことです。

イマジニア - Wikipedia > 主なソフト

あのスーパーファミコン(SFC)でひたすらシミュレーションゲームをやり続けた日々を思うたびに、なんとなくぼんやりしてしまいます。


シムシティ2000(SFC) 王道でしょう。


シムアント(SFC) 何故アリなのか…


ポピュラス(SFC) 神になれます

まぁSFCよりもお世話になったのは、セガサターン(SS)であったでしょうか。

Amazon.co.jp: イマジニア - セガサターン / その他の機種: ゲーム

その昔、いっぱしのセガマニアを決め込んでいた学生時代には、何度、イマジニアさんのオープニング・ロゴを拝みながらゲームを始めたことか知れません。

表紙に黄色いマークがあるものについては、ここでは置いておくとしまして、


海底大戦争(SS)

などは、アーケードでどれだけ百円玉を飲まれたか分からなかった分、誠に有り難くプレイしたことを懐かしく思う次第。


マリーのアトリエ ザールブルグの錬金術士(SS)

は、どんだけ素材集めすれば気が済むんだって感じでしたが、とにかくひたすら錬成の日々でございましたよ。


太平洋の嵐 2(SS)

こちらは、ついうっかりと、「太平洋の嵐2 初回限定プレミアムボックス」なんかを買ってしまったために、「軍隊手牒」と「召集令状」がおまけで付いてくるという事態に。おかげさまで授業で使ってみたりと、いまだに大活躍でございます

まだまだお世話になったモノはございますが、20年ほど前にお世話になった会社さんに、今頃改めてお世話になるというのは、なんとも有り難い――文字通りに――ことです。日々感謝の心でございます。

2017年04月21日 (金)

今日のお題:桐原健真「『論語講義』再考:近代論語のなかの渋沢栄一」、見城悌治ほか編『渋沢栄一は漢学とどう関わったか:「論語と算盤」が出会う東アジアの近代』(ミネルヴァ書房、2017年02月、38〜60頁)

2016年度の業績目録を今更作っているために、こんな記事ばかりで恐縮ですが、お付き合いください。

思い起こせば、まだ大学院だかの時代から本当に渋沢さんにはお世話になっております。で、今回もそんな1本。

当方の担当は渋沢の『論語講義』

とはいえ、実はこの本は渋沢に仮託されて作られたもの――だから渋沢側はあんまり評価してません――であるということが明らかにされておりますので、この本をどれだけひっくり返してみても、あまり有効な議論はできなさそうでございます。

渋沢研究やる人は必読! 笹倉一広「渋沢栄一『論語講義』の書誌学的考察」、一橋大学語学研究室『言語文化』48号、2011年
http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/handle/10086/22849

ですので、

 なんで『論語』なの?
 っていうか、近代で儒学ってどうよ
 儒学と漢学ってどう違うのよ

とか、渋沢を含めた「漢学」の言説史的検討をしてみた次第。

とりあえず、聖人孔子から人間孔子へという流れは、ルナンのイエス伝とか思い起こさせるわけですが、考えてみると、仏陀もそうだったかなぁと思わざるを得ず。

要旨が見つかったので貼ってみる、テスト。

渋沢栄一における儒学思想、とりわけその『論語』の理解について議論される際、しばしば二松学舎から刊行された『論語講義』(全2巻、1925年)が用いられてきた。しかし近年では、同書が実際には筆述者である二松学舎教授の尾立維考による意図的な編集が加えられた、いわば編者自身の著述に近いものであることが、笹倉一広氏の書誌学的検討から指摘されている。この点で、『論語講義』をもって渋沢思想を語ることが、学問的にきわめて危険であることは明かであろう。しかし、『論語』全編を講釈する『論語講義』が、実業家として知られる渋沢の著作として世に問われたことは、これ以降の日本社会における『論語』への認識を大きく規定するものともなったと考えられる。本発表は、同時代の非アカデミズムの分野における『論語』言説を概観することを通して、『論語講義』の文化史的意味を問うことを目的とするものである。


渋沢栄一は漢学とどう関わったか - ミネルヴァ書房
http://www.minervashobo.co.jp/book/b253533.html

序 章 『論語と算盤』が結んだ実業家と二松学舎(木村昌人・町 泉寿郎)
 1 漢学は近代化の阻害要因か
 2 渋沢栄一の思想
 3 渋沢栄一の教育支援
 4 渋沢栄一と近代漢学

 第吃堯―詑栄一の思想
第一章 「悲憤慷慨」の人、渋沢栄一(濱野靖一郎)

    ――「頼山陽」と武士のエートス
 1 江戸期の渋沢
 2 悲憤慷慨の士――「武士」への憧れ
 3 排外思想――水戸学の影響
 4 武士のエートス――頼山陽に私淑
 5 「節女阿正伝」の読解
 6 青年渋沢の自画像

第二章 『論語講義』再考(桐原健真)
    ――近代論語のなかの渋沢栄一

 1 近代論語の射程
 2 「儒学」から「漢学」へ
 3 否定される「西土の教」
 4 「聖人」から「人間」へ
 5 新たなナショナリティ
 6 『論語講義』の文化史的意味

第三章 近代中国の「孔教」論と『論語と算盤』(于 臣)
 1 『論語』解釈の諸相
 2 孔子学の二つの争点
 3 梁漱溟の「人生実践の学」
 4 渋沢栄一と梁漱溟からみる孔子学の争点
 5 渋沢栄一の『論語』読みと商工業立国思想
 6 梁漱溟の孔子学と「人生の三大路線
 7 梁漱溟の生命哲学と郷村建設理論
 8 孔子学の意義

 第局堯―詑栄一の教育支援
第四章 渋沢栄一を偲ぶ朝鮮の人々(朴 暎美)

    ――その「縁」と「脈」を中心として
 1 韓国における渋沢栄一評価の二面性
 2 渋沢栄一と朝鮮との「縁」と「脈」
 3 渋沢栄一を偲ぶ朝鮮の人々
 4 人間の顔をした資本主義

第五章 渋沢栄一による中国人留学生支援と日華学会(見城悌治)
 1 近代日中関係と渋沢栄一
 2 「支那留学生同情会」の設立とその活動――辛亥革命と留日学生
 3 「日華学会」の設立とその活動――留日中国人学生支援の実相
 4 渋沢栄一の中国への「想い」――中国人留学生・教育関係者などとの交流
 5 日中交流に渋沢栄一が果たした役割

第六章 女子教育の近代化と渋沢栄一(任 夢渓)
    ――「女大学」から日本女子大学の創設へ

 1 渋沢栄一と女子教育
 2 渋沢栄一の女性観および女子教育観の変遷
 3 女子教育事業に貢献した渋沢栄一――日本女子大学を中心に
 4 良妻賢母主義の影響

 第敬堯―詑栄一と近代漢学
第七章 二松学舎と陽明学(町 泉寿郎)

 1 なぜ二松学舎と陽明学なのか
 2 三島中洲・山田準と渋沢栄一
 3 二松学舎と近代の漢学教育
 4 陽明学に関する三島中洲の言説
 5 東敬治の陽明学会
 6 三島と渋沢の共鳴のかたち

第八章 渋沢栄一の儒教活動(丁 世絃)
    ――聖堂保存・孔子祭典を中心に

 1 なぜ儒教に注目するのか
 2 孔子祭典会と渋沢栄一
 3 斯文会と渋沢栄一
 4 渋沢栄一の儒教精神

2017年04月21日 (金)

今日のお題:桐原健真「アジアはどこにあるのか―言説史的考察―」、ユーラシア研究センター編『奈良に蒔かれた言葉と思想。』、2017年3月、33-38頁

こちらは、「2016 NARA-EURASIA Institute's Report : no.3、「近世・近代の思想研究会」調査研究レポート」ということになっております。

この前書いた小文で暢気にしていたら、「アレはダイジェスト版であって、本チャンのブツを書いてもらわないと困ります」と言われてしまったもの。その節は、ご迷惑おかけ致しました。というか、そもそも、そのダイジェスト版ですら送ったつもりで自分にしか送ってなかったという体たらく。でも、たくさん書けて良かった良かった。で、冒頭の一部。

「アジア」ということばから、人はどのようなイメージを抱くであろうか。個人的な話で恐縮だが、まだインターネット経由による航空券手配が一般的ではなかった時代、海外出張の手続きのために赴いた小さな旅行会社で、開口一番「アジアに行きたい」と注文している客を見かけたことがある。はたしてこの人にとって、「アジア」はどこに存在していたのだろうか。確かに言えることは、その客にとって、みずからの足もとはアジアでは無かったらしいということである。

ちなみに、こうした或る意味で「ムチャぶり」な要求に対応した旅行会社のスタッフが提示したのは、東南アジアや南アジアあたりのパンフレットであり、客もそれを肯(うべな)っていた。それを見ていて――隣のブースを見ると言うのは、余り行儀が宜しくないのは分かるが、それが不可避なほどに小さな旅行会社だったのだと弁明はしておきたい――「ああなるほど、これが世間一般のアジアなのだなぁ」と妙に納得した記憶がある。

2017年04月21日 (金)

今日のお題:桐原健真「「アジア」はどこにあるのか」、ユーラシア研究センター情報誌『EURO-NARASIA Q』7号、2017年3月、40-41頁

ご厄介になっている奈良県大のユーラシア研究センターでの小文。

『EURO-NARASIA Q』No07.jpg

アジアは日本の自己認識のどこら辺にあるのかなぁという割とよくあるお話ですが、幕末ではこれを拒否する知識人が多かったのはなかなか面白いところではございます。
しかしながら、この「アジア」ということばは、本来、この地域の人々がみずから称したものではない。すなわち、他者――端的に言えばヨーロッパ――によって与えられたものであった。この意味で「アジア」という自己認識は、それ以外の他者によってみずからが「アジア」として規定されることではじめて成立するものであったと言える。それゆえ幕末の日本知識人のなかには、「アジア」が、ヨーロッパによるレッテルであることを理由にその使用を拒否するものすら存在した。たとえば「幕末志士のバイブル」と呼ばれる『新論』(1825)の著者である会沢正志斎(1782〜1863)は、次のように記している。

亜細亜(アジア)・亜弗利加(アフリカ)・欧羅巴(ヨーロッパ)と曰(い)ふものは、西夷の私呼する所にして、宇内(うだい)の公名(こうめい)に非ず、且つ天朝の命ずる所の名に非ず、故に今は言はず。(形勢篇、原漢文)

「アジア」は、西洋諸国が勝手に付けたものであり、我々の自称ではないと断ずる会沢にとって、「アジア」の呼称を受け入れることは、地球規模の世界(「宇内」)を、客体として恣意的に分節化する西洋の正当性を承認することをも意味したであろう。「アジア」ということばの出自を忘れることはなかった幕末知識人たちにおいて、「アジア」は、いまだその自己認識のうちに編入されていなかったのである。もとより幕末維新以降、「アジア」は日本においても、次第に「宇内の公名」となっていく。西洋という他者によって与えられたレッテルを自己のものとして受け入れること――それが日本の近代であった。


ユーラシア研究センター情報誌「EURO-NARASIA Q」第7号のご案内 | 奈良県立大学
https://www.narapu.ac.jp/contents_detail.php?co=kak&frmId=359

当方の文章は置いておいて、結構豪華な本なのは確かなので、ぜひ機会がありましたらお手にとって戴ければ幸いこの上なく。

2017年03月06日 (月)

今日のお題:桐原健真「「漢学」と日本近代:三島中洲と渋沢栄一」、二松學舍大学創立140周年記念シンポジウム「「論語」と「算盤」が出会う東アジアの近代 渋沢栄一と三島中洲」、千代田区・二松學舍大学、2017年01月21日

見城悌治ほか編『渋沢栄一は漢学とどう関わったか:「論語と算盤」が出会う東アジアの近代』(ミネルヴァ書房、2017年02月)の刊行記念でもあるかと。

渋沢栄一は漢学とどう関わったか - ミネルヴァ書房
http://www.minervashobo.co.jp/book/b253533.html

当日の様子は、以下からどうぞ。

二松學舍大学創立140周年記念事業 二松學舍大学私立大学戦略的研究基盤形成支援事業主催シンポジウム「「論語」と「算盤」が出会う東アジアの近代 渋沢栄一と三島中洲」
http://www.nishogakusha-u.ac.jp/eastasia/ea_2016symposium02.html

2017年02月08日 (水)

今日のお題:週刊ニューズウィーク日本版「特集:黒船トランプ? 日本はNOと言えるか」 〈2017年2/14号〉

某氏に教えてもらったステキな表紙。

「外圧―黒船―開国―ペリー」という黄金のシークエンスは、いまだに日本人の思考に根付いているんだなぁとおもった。

まぁ、若い方がどう思われているかわかりませんが、こういう記号が再生産される限り思考様式はそう変わらないのかと。

2017年01月01日 (日)

今日のお題:謹賀新年

謹賀新年 本年もなにとぞよしなに願います
謹賀新年

2016年11月09日 (水)

今日のお題:お詫びと訂正

先日、「一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定です。」となっている――と申し上げました下記の本ですが、

Amazon.co.jp: 戦後歴史学と日本仏教: オリオン クラウタウ: 本

ただいま現在、「この本は現在お取り扱いできません。」となっております。

なんでしょうか、アマゾンではもはや対応が追いつかないと言うことで、もう取り扱うのをあきらめたのでしょうか。

と言うわけで、版元へのリンクを張っておきましょう。

戦後歴史学と日本仏教 - 法藏館書店
http://www.hozokanshop.com/?ISBN=978-4-8318-5544-2

せっかくなので、惹句と目次も転載です。

敗戦により「日本仏教」像はどのように再構築されたのか。戦争を経験し、戦後の歴史研究をリードした、家永三郎、服部之総、井上光貞など15人の研究者の営みから考察する。

目次:
タイトル執筆者
戦後歴史学と日本仏教――序文オリオン・クラウタウ
家永三郎――戦後仏教史学の出発点としての否定の論理末木文美士
服部之総――「生得の因縁」と戦後親鸞論の出発点桐原健真
井上光貞――焼け跡闇市世代の歴史学平雅行
圭室諦成――社会経済史の日本宗教研究林淳
古田紹欽――大拙に近侍した禅学者大澤広嗣
中村元―――東方人文主義の日本思想史西村玲
笠原一男――戦後歴史学と総合的宗教史叙述のはざま菊地大樹
森龍吉―――仏教近代化論と真宗思想史研究岩田真美
柏原祐泉――自律的信仰の系譜をたどって引野亨輔
五来重―――仏教民俗学と庶民信仰の探究碧海寿広
吉田久一――近代仏教史研究の開拓と方法繁田真爾
石田瑞麿――日本仏教研究における戒律への視角前川健一
二葉憲香――仏教の立場に立つ歴史学近藤俊太郎
田村芳朗――思想史学と本覚思想研究花野充道
黒田俊雄――マルクス主義史学におけるカミの発見佐藤弘夫

著者紹介:
1980年ブラジル生まれ。
東北大学大学院国際文化研究科准教授。
専門は宗教史学(近代日本仏教)。東北大学大学院国際文化研究科准教授。著書・論文に『近代日本思想としての仏教史学』(法藏館、2012)、「宗教概念と日本」(島薗進他編『神・儒・仏の時代――シリーズ日本人と宗教第二巻』春秋社、2014)、「近代日本の仏教学における”仏教 Buddhism”の語り方」(末木文美士ほか編『ブッダの変貌――交錯する近代仏教』法藏館、2014)ほか。

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