2017年04月21日 (金)

今日のお題:桐原健真「『論語講義』再考:近代論語のなかの渋沢栄一」、見城悌治ほか編『渋沢栄一は漢学とどう関わったか:「論語と算盤」が出会う東アジアの近代』(ミネルヴァ書房、2017年02月、38〜60頁)

2016年度の業績目録を今更作っているために、こんな記事ばかりで恐縮ですが、お付き合いください。

思い起こせば、まだ大学院だかの時代から本当に渋沢さんにはお世話になっております。で、今回もそんな1本。

当方の担当は渋沢の『論語講義』

とはいえ、実はこの本は渋沢に仮託されて作られたもの――だから渋沢側はあんまり評価してません――であるということが明らかにされておりますので、この本をどれだけひっくり返してみても、あまり有効な議論はできなさそうでございます。

渋沢研究やる人は必読! 笹倉一広「渋沢栄一『論語講義』の書誌学的考察」、一橋大学語学研究室『言語文化』48号、2011年
http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/handle/10086/22849

ですので、

 なんで『論語』なの?
 っていうか、近代で儒学ってどうよ
 儒学と漢学ってどう違うのよ

とか、渋沢を含めた「漢学」の言説史的検討をしてみた次第。

とりあえず、聖人孔子から人間孔子へという流れは、ルナンのイエス伝とか思い起こさせるわけですが、考えてみると、仏陀もそうだったかなぁと思わざるを得ず。

要旨が見つかったので貼ってみる、テスト。

渋沢栄一における儒学思想、とりわけその『論語』の理解について議論される際、しばしば二松学舎から刊行された『論語講義』(全2巻、1925年)が用いられてきた。しかし近年では、同書が実際には筆述者である二松学舎教授の尾立維考による意図的な編集が加えられた、いわば編者自身の著述に近いものであることが、笹倉一広氏の書誌学的検討から指摘されている。この点で、『論語講義』をもって渋沢思想を語ることが、学問的にきわめて危険であることは明かであろう。しかし、『論語』全編を講釈する『論語講義』が、実業家として知られる渋沢の著作として世に問われたことは、これ以降の日本社会における『論語』への認識を大きく規定するものともなったと考えられる。本発表は、同時代の非アカデミズムの分野における『論語』言説を概観することを通して、『論語講義』の文化史的意味を問うことを目的とするものである。


渋沢栄一は漢学とどう関わったか - ミネルヴァ書房
http://www.minervashobo.co.jp/book/b253533.html

序 章 『論語と算盤』が結んだ実業家と二松学舎(木村昌人・町 泉寿郎)
 1 漢学は近代化の阻害要因か
 2 渋沢栄一の思想
 3 渋沢栄一の教育支援
 4 渋沢栄一と近代漢学

 第吃堯―詑栄一の思想
第一章 「悲憤慷慨」の人、渋沢栄一(濱野靖一郎)

    ――「頼山陽」と武士のエートス
 1 江戸期の渋沢
 2 悲憤慷慨の士――「武士」への憧れ
 3 排外思想――水戸学の影響
 4 武士のエートス――頼山陽に私淑
 5 「節女阿正伝」の読解
 6 青年渋沢の自画像

第二章 『論語講義』再考(桐原健真)
    ――近代論語のなかの渋沢栄一

 1 近代論語の射程
 2 「儒学」から「漢学」へ
 3 否定される「西土の教」
 4 「聖人」から「人間」へ
 5 新たなナショナリティ
 6 『論語講義』の文化史的意味

第三章 近代中国の「孔教」論と『論語と算盤』(于 臣)
 1 『論語』解釈の諸相
 2 孔子学の二つの争点
 3 梁漱溟の「人生実践の学」
 4 渋沢栄一と梁漱溟からみる孔子学の争点
 5 渋沢栄一の『論語』読みと商工業立国思想
 6 梁漱溟の孔子学と「人生の三大路線
 7 梁漱溟の生命哲学と郷村建設理論
 8 孔子学の意義

 第局堯―詑栄一の教育支援
第四章 渋沢栄一を偲ぶ朝鮮の人々(朴 暎美)

    ――その「縁」と「脈」を中心として
 1 韓国における渋沢栄一評価の二面性
 2 渋沢栄一と朝鮮との「縁」と「脈」
 3 渋沢栄一を偲ぶ朝鮮の人々
 4 人間の顔をした資本主義

第五章 渋沢栄一による中国人留学生支援と日華学会(見城悌治)
 1 近代日中関係と渋沢栄一
 2 「支那留学生同情会」の設立とその活動――辛亥革命と留日学生
 3 「日華学会」の設立とその活動――留日中国人学生支援の実相
 4 渋沢栄一の中国への「想い」――中国人留学生・教育関係者などとの交流
 5 日中交流に渋沢栄一が果たした役割

第六章 女子教育の近代化と渋沢栄一(任 夢渓)
    ――「女大学」から日本女子大学の創設へ

 1 渋沢栄一と女子教育
 2 渋沢栄一の女性観および女子教育観の変遷
 3 女子教育事業に貢献した渋沢栄一――日本女子大学を中心に
 4 良妻賢母主義の影響

 第敬堯―詑栄一と近代漢学
第七章 二松学舎と陽明学(町 泉寿郎)

 1 なぜ二松学舎と陽明学なのか
 2 三島中洲・山田準と渋沢栄一
 3 二松学舎と近代の漢学教育
 4 陽明学に関する三島中洲の言説
 5 東敬治の陽明学会
 6 三島と渋沢の共鳴のかたち

第八章 渋沢栄一の儒教活動(丁 世絃)
    ――聖堂保存・孔子祭典を中心に

 1 なぜ儒教に注目するのか
 2 孔子祭典会と渋沢栄一
 3 斯文会と渋沢栄一
 4 渋沢栄一の儒教精神

2017年04月21日 (金)

今日のお題:桐原健真「アジアはどこにあるのか―言説史的考察―」、ユーラシア研究センター編『奈良に蒔かれた言葉と思想。』、2017年3月、33-38頁

こちらは、「2016 NARA-EURASIA Institute's Report : no.3、「近世・近代の思想研究会」調査研究レポート」ということになっております。

この前書いた小文で暢気にしていたら、「アレはダイジェスト版であって、本チャンのブツを書いてもらわないと困ります」と言われてしまったもの。その節は、ご迷惑おかけ致しました。というか、そもそも、そのダイジェスト版ですら送ったつもりで自分にしか送ってなかったという体たらく。でも、たくさん書けて良かった良かった。で、冒頭の一部。

「アジア」ということばから、人はどのようなイメージを抱くであろうか。個人的な話で恐縮だが、まだインターネット経由による航空券手配が一般的ではなかった時代、海外出張の手続きのために赴いた小さな旅行会社で、開口一番「アジアに行きたい」と注文している客を見かけたことがある。はたしてこの人にとって、「アジア」はどこに存在していたのだろうか。確かに言えることは、その客にとって、みずからの足もとはアジアでは無かったらしいということである。

ちなみに、こうした或る意味で「ムチャぶり」な要求に対応した旅行会社のスタッフが提示したのは、東南アジアや南アジアあたりのパンフレットであり、客もそれを肯(うべな)っていた。それを見ていて――隣のブースを見ると言うのは、余り行儀が宜しくないのは分かるが、それが不可避なほどに小さな旅行会社だったのだと弁明はしておきたい――「ああなるほど、これが世間一般のアジアなのだなぁ」と妙に納得した記憶がある。

2017年04月21日 (金)

今日のお題:桐原健真「「アジア」はどこにあるのか」、ユーラシア研究センター情報誌『EURO-NARASIA Q』7号、2017年3月、40-41頁

ご厄介になっている奈良県大のユーラシア研究センターでの小文。

『EURO-NARASIA Q』No07.jpg

アジアは日本の自己認識のどこら辺にあるのかなぁという割とよくあるお話ですが、幕末ではこれを拒否する知識人が多かったのはなかなか面白いところではございます。
しかしながら、この「アジア」ということばは、本来、この地域の人々がみずから称したものではない。すなわち、他者――端的に言えばヨーロッパ――によって与えられたものであった。この意味で「アジア」という自己認識は、それ以外の他者によってみずからが「アジア」として規定されることではじめて成立するものであったと言える。それゆえ幕末の日本知識人のなかには、「アジア」が、ヨーロッパによるレッテルであることを理由にその使用を拒否するものすら存在した。たとえば「幕末志士のバイブル」と呼ばれる『新論』(1825)の著者である会沢正志斎(1782〜1863)は、次のように記している。

亜細亜(アジア)・亜弗利加(アフリカ)・欧羅巴(ヨーロッパ)と曰(い)ふものは、西夷の私呼する所にして、宇内(うだい)の公名(こうめい)に非ず、且つ天朝の命ずる所の名に非ず、故に今は言はず。(形勢篇、原漢文)

「アジア」は、西洋諸国が勝手に付けたものであり、我々の自称ではないと断ずる会沢にとって、「アジア」の呼称を受け入れることは、地球規模の世界(「宇内」)を、客体として恣意的に分節化する西洋の正当性を承認することをも意味したであろう。「アジア」ということばの出自を忘れることはなかった幕末知識人たちにおいて、「アジア」は、いまだその自己認識のうちに編入されていなかったのである。もとより幕末維新以降、「アジア」は日本においても、次第に「宇内の公名」となっていく。西洋という他者によって与えられたレッテルを自己のものとして受け入れること――それが日本の近代であった。


ユーラシア研究センター情報誌「EURO-NARASIA Q」第7号のご案内 | 奈良県立大学
https://www.narapu.ac.jp/contents_detail.php?co=kak&frmId=359

当方の文章は置いておいて、結構豪華な本なのは確かなので、ぜひ機会がありましたらお手にとって戴ければ幸いこの上なく。

2017年03月06日 (月)

今日のお題:桐原健真「「漢学」と日本近代:三島中洲と渋沢栄一」、二松學舍大学創立140周年記念シンポジウム「「論語」と「算盤」が出会う東アジアの近代 渋沢栄一と三島中洲」、千代田区・二松學舍大学、2017年01月21日

見城悌治ほか編『渋沢栄一は漢学とどう関わったか:「論語と算盤」が出会う東アジアの近代』(ミネルヴァ書房、2017年02月)の刊行記念でもあるかと。

渋沢栄一は漢学とどう関わったか - ミネルヴァ書房
http://www.minervashobo.co.jp/book/b253533.html

当日の様子は、以下からどうぞ。

二松學舍大学創立140周年記念事業 二松學舍大学私立大学戦略的研究基盤形成支援事業主催シンポジウム「「論語」と「算盤」が出会う東アジアの近代 渋沢栄一と三島中洲」
http://www.nishogakusha-u.ac.jp/eastasia/ea_2016symposium02.html

2017年02月08日 (水)

今日のお題:週刊ニューズウィーク日本版「特集:黒船トランプ? 日本はNOと言えるか」 〈2017年2/14号〉

某氏に教えてもらったステキな表紙。

「外圧―黒船―開国―ペリー」という黄金のシークエンスは、いまだに日本人の思考に根付いているんだなぁとおもった。

まぁ、若い方がどう思われているかわかりませんが、こういう記号が再生産される限り思考様式はそう変わらないのかと。

2017年01月01日 (日)

今日のお題:謹賀新年

謹賀新年 本年もなにとぞよしなに願います
謹賀新年

2016年11月09日 (水)

今日のお題:お詫びと訂正

先日、「一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定です。」となっている――と申し上げました下記の本ですが、

Amazon.co.jp: 戦後歴史学と日本仏教: オリオン クラウタウ: 本

ただいま現在、「この本は現在お取り扱いできません。」となっております。

なんでしょうか、アマゾンではもはや対応が追いつかないと言うことで、もう取り扱うのをあきらめたのでしょうか。

と言うわけで、版元へのリンクを張っておきましょう。

戦後歴史学と日本仏教 - 法藏館書店
http://www.hozokanshop.com/?ISBN=978-4-8318-5544-2

せっかくなので、惹句と目次も転載です。

敗戦により「日本仏教」像はどのように再構築されたのか。戦争を経験し、戦後の歴史研究をリードした、家永三郎、服部之総、井上光貞など15人の研究者の営みから考察する。

目次:
タイトル執筆者
戦後歴史学と日本仏教――序文オリオン・クラウタウ
家永三郎――戦後仏教史学の出発点としての否定の論理末木文美士
服部之総――「生得の因縁」と戦後親鸞論の出発点桐原健真
井上光貞――焼け跡闇市世代の歴史学平雅行
圭室諦成――社会経済史の日本宗教研究林淳
古田紹欽――大拙に近侍した禅学者大澤広嗣
中村元―――東方人文主義の日本思想史西村玲
笠原一男――戦後歴史学と総合的宗教史叙述のはざま菊地大樹
森龍吉―――仏教近代化論と真宗思想史研究岩田真美
柏原祐泉――自律的信仰の系譜をたどって引野亨輔
五来重―――仏教民俗学と庶民信仰の探究碧海寿広
吉田久一――近代仏教史研究の開拓と方法繁田真爾
石田瑞麿――日本仏教研究における戒律への視角前川健一
二葉憲香――仏教の立場に立つ歴史学近藤俊太郎
田村芳朗――思想史学と本覚思想研究花野充道
黒田俊雄――マルクス主義史学におけるカミの発見佐藤弘夫

著者紹介:
1980年ブラジル生まれ。
東北大学大学院国際文化研究科准教授。
専門は宗教史学(近代日本仏教)。東北大学大学院国際文化研究科准教授。著書・論文に『近代日本思想としての仏教史学』(法藏館、2012)、「宗教概念と日本」(島薗進他編『神・儒・仏の時代――シリーズ日本人と宗教第二巻』春秋社、2014)、「近代日本の仏教学における”仏教 Buddhism”の語り方」(末木文美士ほか編『ブッダの変貌――交錯する近代仏教』法藏館、2014)ほか。

2016年11月08日 (火)

今日のお題:桐原健真「モノとしての書籍」、パネルセッション「近世日本における出版文化の諸相」、日本思想史学会2016年度大会、2016年10月30日、吹田市・関西大学

本パネルセッションは、大会委員が組織したシンポジウム連動企画である。近代に接続する近世の出版文化について三人のパネリストとともに議論していきたい(司会・伊藤聡〈茨城大学〉)。

パネリスト
・引野亨輔(千葉大学)「経蔵のなかの正統と異端」(要旨略)
・吉川裕(東北大学専門研究員)「徂徠学派における詩文集刊行とその意義」(要旨略)
・桐原健真(金城学院大学)「モノとしての書籍」
要旨「後期水戸学の大成者」(植手通有)とされる会沢正志斎に文集や全集等が『会沢正志斎文稿』(2002)以外に見られないことを意外と感じた者は少なくないだろう。幽谷・東湖父子に全集があることを考えれば、その念は更に強くなる。だが会沢の文業を遺す試みが皆無だったわけではなく、その全容を世に問う動きは彼の存命中からあったが、その主著を『新論』に求める理解は今なお強い。しかし『新論』は始めから「尊攘」や「国体」と結びつけて受容されたのではない。本発表は『新論』を手がかりに幕末におけるモノとしての書物の社会的存在を問うものである。

とまぁ、ぶち上げたのですが、少々不完全燃焼でございます。

一番の引っかかりは、会沢正志斎の『退食間話』を誰が出したのかという問題でして、こちらの扉には「御蔵板」と書いてありますので、瀬谷義彦先生などは、「その版本は弘道館蔵版の一冊だけである」(瀬谷義彦「退食間話解説」、日本思想大系53『水戸学』岩波書店、1973年)と仰っているのですが、どうもそれにしても変な版だなぁと想い続けていたわけですが、やっぱりよく分かりません。

さらに、見返しには、こんな印が押されてございます。で、これが何と書いてあるのかが分かりません。とりあえず二文字目以降が「條殿御藏板」というのは確定して宜しいのですが、これが何條なのかが分かりません。

篆刻の専門の方に伺いましても、

「日本の篆刻はいい加減だからねぇ」

と、なんとも恐縮なことを仰るので、非常に困って、発表当日に至り、恥を忍んで、

「お分かりになる方、是非ご教示を賜りたく」

と申しましたが、結局、どなたにもご教示戴けず終わってしまった次第。

いろいろ検討はしてみたのですが、おそらくは「五條殿御藏板」だろうというのが、現在の結論でございます。

五条家と申しますのは、摂家でも何でもございませんで、菅原氏の庶流でございまして、所謂半家であります。おそらくここら辺の公家あたりからなんらかのルートで版行されたのだろうと思うのですが、正直、江戸のことばかり目が行っており、京都での出版事情というものに理解がなく、どういうことなんじゃろ、と謎が謎を呼んで、次回に続くという次第でございます。

御蔵板だと検閲とかそこら辺、どういう扱いになったんでしょうねぇ。まったくもってそういう実社会の次元のことは不案内でございます。昔も今もですが。

2016年11月07日 (月)

今日のお題:桐原健真「服部之総――「生得の因縁」と戦後親鸞論の出発点」、オリオン・クラウタウ編『戦後歴史学と日本仏教』法藏館、2016年、49〜75頁

ついに出ました!

戦後歴史学と日本仏教

いや、ホントにこれは立派な本ですよ。お疲れさま! 編者! 

Amazon.co.jp: 戦後歴史学と日本仏教: オリオン クラウタウ: 本

アマゾンではうっかりと「一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定です。」となっていますが、もはや洛陽の紙価を貴からしめんがごとき事態となっております――などと、異常な盛り上がりで恐縮です。

なんにしても、カバーを見ても分かりますように、これだけの人間を一気に出したことの意義はすばらしいモノがございます。

なぜ当方が服部之総を書いているのかということについては、単純に好きだからとしか申せませんが、とても書いていて楽しかったです。なんとも小学生のような感想でございますが、まぁ、ホントに服部君は面白い人なぁと改めて思った次第。

2016年11月05日 (土)

今日のお題:桐原健真「吉田松陰の視点:攘夷とは何か」、間部詮勝シンポジウム『安政の大獄の真実:幕末史における再評価』鯖江市、2016年、2-14頁

随分前のモノだったのに、書き込むのを忘れていたというヤツでございます。

以前、鯖江にお邪魔して一席打ったモノ

思海 | 桐原健真「吉田松陰の視点―攘夷とは何か―」(間部詮勝シンポジウム、鯖江市・鯖江市文化の館多目的ホール、2015年05月23日〜2015年05月24日)

の活字化というところでして、そんなにエラク変わったものでもございません。ただ、「尊王攘夷」って変なことばだよね〜と言うことに関して、少々説明を加えた次第。

だれでも「尊王攘夷」できる時代になったことが、幕末の混乱を加速させたんだ、ことばってことほど斯様に怖いものなのですよ――というお話しをして、後は松陰のお話しに流れ込むという算段でございます。

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