2011年07月31日 (日)

今日のお題:桐原健真「「情報の海」を越えて――吉田桧陰の情報との向き合い方に学ぶ」『人間会議』2011年夏号、56?61頁

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*『人間会議』2011年夏号、56?61頁
私塾二つで日本が変わった
2011年 6月 6日 発売
価格: 950 円(税込)
http://ec.sendenkaigi.com/hanbai/magazine/kankyoningen/

ずいぶん前なのですが、上げるのを忘れてました。

以前も松陰で書いた気はするのですが、今回は時局的な内容で、震災で停電の最中に届いたチェーンメールから話を始めて、情報リテラシーの必要性を論じた内容になっております。

当方は、「正確な情報が正しい判断を導びくとは限らない」という考えを持っております。つまり、客観的に正確な知識が必ずしも、主観的に正当な認識をもたらすとは限らないということです。

これは、洋学史なんかをやっている方と時たま話になるのですが、蘭学誕生以降、西洋の科学知識が大量に日本に入ってきたからといって、すべての日本知識人が世界の趨勢に目を向けることが出来たというわけではないので、海外知識の有無だけでは、「開明性」とか「近代性」とかいう議論は出来ないと思うのです。知識があるからといって、そこから導き出される結論は一様ではないのですね。

会沢正志斎だって、地球儀の知識林羅山はもとより新井白石以上に有していたはずなのですが、東方君子国という結論に達するために、地球という物理的な世界のほかに、

「およそ物は、自然の形体ありて存せざるはなし」(『新論』1825)

という、理の反映としての人間世界という独自の世界観を持ち込んで、「地球は丸いが、人間の住む大地には法則性がある」と断じて、日本こそ「大地之元首」であると言うわけですね。

こういった類は、べつだん徳川時代に限った話ではなく、現代でも同様であります。わたくしたちは、私たちの見たいようにしか世界を見ていないと申して良いかと。だから、ものの見方には気をつけましょうね、ということになるんですが。


ちなみにこの原稿は、震災直後に依頼されました。おかげで、初稿とか、写真とかいろいろチェックし損ねたところが多々あります。当方の写真に関しては、とくにそうで、5?6年前の写真が載っているので、なんとも恥ずかしい限り。

*使われた写真:桐原健真
http://db.tohoku.ac.jp/whois/detail/60abceb75f88cf138cfe34a7d5d09e4f.html

*最近の写真:桐原健真 | 教員のよこがお
http://www.sal.tohoku.ac.jp/staff/06000000_kirihara.html

……ひげが生えたくらいで、あんまり変わらないかも知れません。っていうか、暑いので剃っちゃったんですけどね。

2011年07月19日 (火)

今日のお題:桐原健真「幕末維新期尊攘論における国際社会認識の転回幕末維新期尊攘論における国際社会認識の転回――「帝国」言説をめぐって」(韓日文化交流基金・東北亜歴史財団編『1910년-그 이전 100년:한국과 일본의 서양문명수용(1910年:その以前の100年:韓国と日本の西洋文明受容)』ソウル・景仁文化社、2011年01月、3?53頁、内3?28頁韓国語訳)

$FILE1_l 震災の直後あたりに送られてきていたのですが、茫乎としてうち過ぎておりましたため載せておりませんでした。

近代漢語としての「帝国」に関しては、ずいぶん色々なところでお話しをしましたが、台湾・日本そして韓国とで話すことができたことは大変有り難いことでございます。

とくに今回は、大韓民国臨時政府樹立90年周年(2009年)を経た韓国併合100周年の際のシンポジウムでしたので、「帝国」の対概念としての「民国」についても言及しております。



2009年は大韓民国臨時政府樹立90年周年にあたる記念すべき年であった。この臨時政府が、今日に至るまで用いられているところの国号である「大韓民国」を称した歴史的背景には、これに先立つ国号としての「大韓帝国」(1897)「中華民国」(1912)の存在がある。すなわち、「大韓民国」とは「大韓」という国名と「民国」という政治体制を意味する近代漢語との融合によってはじめて成立した国号にほかならない。〔中略〕1910年代の東アジアに連続して成立した二つの国号が「共和国」ではなく「民国」を選択した背後にも、やはりこのような漢文脈の影響があったであろうことを見逃すことができない。すなわち大韓民国に先行して大韓帝国が存在し、大清帝国を革命によって打ち倒した中華民国が、一時期袁世凱(1859‐1916)によって中華帝国(ただし数ヶ月で廃絶)となったことからもわかるように、「民国」とは「帝国」の対概念であり、主権がどこに存するかを明示する新しいことばであった。


ネグリ&ハートのEmpire(2000)というタイトルが、どのように漢字文化圏で翻訳されたのかというのを見ていくとなかなか面白くて、わりと皆さん食い付いてました。韓国語が一番早かったようで、これもまた面白い。

|*刊行年|*刊行地|*書名|*翻訳者・出版者|
|2001年|韓国|『제국〔帝国〕』|윤수종訳・ソウル:理学社|
|2002年|台湾|『帝国』|韋本ほか訳・台北市:商周出版|
|2003年|中国|『帝国――全球化的政治秩序』|楊建国ほか訳・南京:江蘇人民出版社|
|同上|日本|『〈帝国〉── グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性』|水嶋一憲ほか訳・東京:以文社|
|2004
(番外)|越南|Trần Hữu Dũng, 2004.“Mỹ, một đế quốc?〔「アメリカ帝国?」〕” THỜI ĐẠI MỚI No.2.(http://www.tapchithoidai.org/200402_THDung.htm)2010年05月11日10時48分閲覧|

ベトナムでもEmpireは帝国です。

2011年07月02日 (土)

今日のお題:三次元の復興

先日人間ドックに行ってきました。

なにが驚いたかと申しますと、眼が異常に悪くなっていたことです。右1.2の左0.8というどう考えてもあり得ない状態で、先日眼鏡屋さんに参りました。いつの間にこんなに悪くなってしまったのでしょうか。やはり震災時の不摂生の賜物でしょうか。>多分違います。

とりあえず、いま使っている強度の近乱眼鏡を見せて、ちょっと調整していただいて、現状の視力を計っていただくことに。

結果は……両目とも1.2でした

なんだそれ。

どうも、メガネが曲がっていたせいだったようで、調整していただいたら普通に見えるようになったようです。眼鏡屋さんにも「作り直す必要はありませんね」と太鼓判を押され、新しいメガネを作る気満々だった心が一気にしぼんでしまいました。

そういや3.11のとき、机の下に逃げ込むときだったかメガネを強打した記憶があります。あのときからおかしかったんだろうなぁ、と思い返してみる次第。

で、メガネを直し、視力が戻った所、全国の私一人の皆さんから喜びの声が。

あのしつこかった右まぶたのケイレンが無くなりました!(仙台市Kさん・36歳)
左腕のしびれが消えました。ありがとうございます。(仙台市Kさん・36歳)
生まれて初めて肩凝りを経験していたのですが、全くなくなりました!(仙台市Kさん・36歳)
腰痛からさよならです(仙台市Kさん・36歳)
原稿が書けるようになりました! 締切は過ぎてますが、頑張ります。(仙台市Kさん・36歳)

両眼の復興でふたたび学究生活に戻れます。ありがとう、眼鏡屋さん。他の眼鏡屋(仙台からは撤退済)で買ったものなのに、本当にありがとう。つねに感謝の心です。

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