2010年08月29日 (日)

今日のお題:夏風邪

時差ボケはついに修正されることなく、かつ限りない食欲不振のまま帰国するも、そのまま引き続き夏風邪に入ってほぼ一週間。病床と大学を往復する日々でございます。なんとも情けのないことで。

とにかく今回の伏臥はきついことこの上なく、そのお陰で方々に不義理を致しまくりでございます。まぁ、熱も落ち、おおむね復調しつつはあるのですが、脳が上手く動かず、こうして駄文を書き散らかすだけなのでございます。

家には本がほとんど無いので、読むものがないため、宇野弘蔵の『資本論入門』なんかを読んだりしているのですが、見開き一つに改行が一つもない文章は、かなり脳に響きます。なんかなぁ。

2010年08月20日 (金)

今日のお題:The Quest for Mahayana: Kawaguchi Ekai and the Buddha's 'Golden Words'

KIRIHARA Kenshin
The Quest for Mahayana: Kawaguchi Ekai and the Buddha's 'Golden Words'
Panel: RETHINKING JAPANESE BUDDHISM: KAWAGUCHI EKAI AND MURAKAMI SENSHŌ
XXth IAHR Quinquennial World Congress, Canada, Toronto, University of Toronto
2010. Aug. 20 (Friday)

…風邪とかで書くのを忘れてました。

2010年08月16日 (月)

今日のお題:カナダ行

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IAHR(国際宗教史学会)のためにカナダのトロントに来てます。

時差ボケのせいで、日本にいるときより早起きです。とはいえ6時前に起きるので、早起きというものとは、本質的に違うのかも知れません。

なんにせよ早起きするとおなかがすくのですが、さすがに食堂はまだ開いてませんので、対面の24時間スーパーに参ります。すばらしきかな24h。

おそらくこの先もお世話になると思いますので、よろしくお願いいたします。>なにを?

TERIYAKI なる弁当もございましたが、さすがにここまで来て照焼チキン弁当をいただくのはいかがかと。ちなみに、TERIYAKIは醤油の対米輸出のために開発されたものらしいです。やるな亀甲萬。

明け方のホテル前風景。

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2010年08月11日 (水)

今日のお題:成仏・往生そして観念

成仏往生というものは、近世のはじめころにはほとんど同じような意味でとらえられるようになったと、先日の研究会で伺いました。嗚嗟、たしかに往生したらほぼ成仏確定だよなぁと思いつつ、しかしながら、本来的には、とにかく最低でも極楽浄土の下品下生にでも往生して、平穏な浄土で修行して成仏するというという階梯を踏む必要があるわけで、そうそう一緒くたにされてもなぁと思ったりしたわけです。

もちろん、真宗なんかでは、往生即成仏なわけですから、往生と成仏は一緒といっても過言ではありません。とはいえ、これは阿弥陀さまの大慈悲のお陰なわけですから、これはこれで特別な解釈であると申せます。

そんなことを思っておりましたところ、先日、ふと「亡くなった方には『往生しろよ』とは言わない」という事実に気付きました。

普通、こういう場合、「成仏しろよ」と言うわけでありまして、「往生」というプロセスを経た上での「成仏」でありますから、やはり今日的用法においても、往生と成仏とは必ずしも一致しないようであります。

考えて見ますと、時代劇で辻斬りでやられた死体に向けて「成仏しな」ということばをかける一方で、ヤクザ映画では、ドスや拳銃をお持ちになった方が、「往生せいやぁ」と襲いかかってくるわけです。

まぁ、「往生せいやぁ」と言われると、ヤクザではなく某警察官の方が想起されるわけですが。

さて、それはさておき、「往生せいやぁ」と申しますと、さらに想起される吶喊(とっかん)が「観念せいやぁ」でありましょう。

「観念する」は「往生する」と同様、現代日本語においてしばしば耳にすることばでありますが、この場合の「観念」は現代日本語における「観念Idea」とはずいぶん違います。

と、もうしますか、「観念Ideaする」ってどういう状態なんでしょうね。よくよく考えてみると、恐ろしい感じがします。「哲学する」とか「科学する」以上に、不可解な表現です。

話を戻しまして、「観念する」は、「観想する」と同じ意味でありまして、真理や仏を思い描くことであり、唱名念仏以外の念仏のことであると申して宜しいかと思います。つまり、自分の成りたい仏を思いおこすということですね。

こういった修行を積むことで往生、さらには成仏に至るのですから、観念は往生・成仏の前提条件であるとも言えます。

かくして、現代日本語における「成仏」理解には、以下のような過程が想定されていると結論されるのであります。

1 「観念しな」と暗殺者登場…観想念仏の段階
   ↓
2 「往生せいやぁ」と吶喊…浄土往生を願う段階
   ↓
3 「成仏しろよ」と捨て台詞…浄土での成仏を願う段階

このようにくだくだしく述べ連ねて参りますと、そう簡単に往生=成仏とは言えないのだなぁと思うと同時に、日本における思考様式の基礎に仏教なるものが非常に根深く存していることがわかります。

日本人の死に対する観念というものも、実際にはこのような過程を有しているのでしょうが、日頃あまり意識していないと「死」だけが突然現れるということになりかねないのではないかと思う次第。

2010年08月05日 (木)

今日のお題:史的国体論

近代国体論というものを考えたとき、たんなる前近代的な尊王論の延長上に求めるのではなく、これを歴史的に把握しようとする語り――なかんづく近代史学との関係で議論すべきなのではないかと思うのです。これを、「史的国体論historischer Kokutaismus」と名付けてみました。

わざわざ文法的にも怪しいドイツ語で書く必要があるのかは別としまして、歴史性を抜きにした国体論というのは、どうしても超越性を導入しなければ成立しないものであり、本居宣長の「天壌無窮の神勅」であったり会沢正志斎の「東方君子国説」であったりするわけでございます。

こういったものを信じられなくなったからこそ、近代国体論は、「万世一系の皇道」という歴史性(時間性)に依拠せざるを得なくなった訳であります。しかしその基礎が歴史性に根拠していがゆえに、これを共有できない人々――新国民――にとっては、どうやっても国体論を承認できなくなるという問題が出てくるわけです。この点で、近代国体論は、その初手から自己矛盾を含んだイデオロギーであったとも申せます。

まぁ、血統の長さがそれ自体価値であるかというのは、殷と周との王朝のいずれが是とされるべきかという近世における議論を想起していただければ、かなり難しいところであることが分るのですが、この点については、また改めて議論したいと思います。

殷は三十代六百五十年……周は三十六代八百六十七年……国祚の長短を以ていへば、質(殷)なるもの短くして文(周)なるもの長きが如し。然れども殷は太甲・太戊・盤庚・武丁限りある賢君にて天下平らかなり、紂王に至りて暴虐を以て亡ぶ。……周と室町は永きが如しと雖も、未だ亡びざる数代の前より既に威令行はれず。文質の得失判然たり。(吉田松陰「政体論」1851(嘉永4)年2月20日)

だらだら続けているから良いというわけでもない――若い頃の松陰は、そういうことを平気で言える人物であったと申せます。

2010年08月03日 (火)

今日のお題:2010年7月27日ミニッツペーパー

日本文化を考える―国際共修ゼミ―最終回のミニッツペーパです。
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