2010年08月05日 (木)

今日のお題:史的国体論

近代国体論というものを考えたとき、たんなる前近代的な尊王論の延長上に求めるのではなく、これを歴史的に把握しようとする語り――なかんづく近代史学との関係で議論すべきなのではないかと思うのです。これを、「史的国体論historischer Kokutaismus」と名付けてみました。

わざわざ文法的にも怪しいドイツ語で書く必要があるのかは別としまして、歴史性を抜きにした国体論というのは、どうしても超越性を導入しなければ成立しないものであり、本居宣長の「天壌無窮の神勅」であったり会沢正志斎の「東方君子国説」であったりするわけでございます。

こういったものを信じられなくなったからこそ、近代国体論は、「万世一系の皇道」という歴史性(時間性)に依拠せざるを得なくなった訳であります。しかしその基礎が歴史性に根拠していがゆえに、これを共有できない人々――新国民――にとっては、どうやっても国体論を承認できなくなるという問題が出てくるわけです。この点で、近代国体論は、その初手から自己矛盾を含んだイデオロギーであったとも申せます。

まぁ、血統の長さがそれ自体価値であるかというのは、殷と周との王朝のいずれが是とされるべきかという近世における議論を想起していただければ、かなり難しいところであることが分るのですが、この点については、また改めて議論したいと思います。

殷は三十代六百五十年……周は三十六代八百六十七年……国祚の長短を以ていへば、質(殷)なるもの短くして文(周)なるもの長きが如し。然れども殷は太甲・太戊・盤庚・武丁限りある賢君にて天下平らかなり、紂王に至りて暴虐を以て亡ぶ。……周と室町は永きが如しと雖も、未だ亡びざる数代の前より既に威令行はれず。文質の得失判然たり。(吉田松陰「政体論」1851(嘉永4)年2月20日)

だらだら続けているから良いというわけでもない――若い頃の松陰は、そういうことを平気で言える人物であったと申せます。

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