2008年09月09日 (火)

今日のお題:『国体の本義』「緒言」(1937年)

   現代日本と思想問題

我が国は、今や国運頗る盛んに、海外発展のいきほひ著しく、前途弥々多望な時に際会してゐる。産業は隆盛に、国防は威力を加へ、生活は豊富となり、文化の発展は諸方面に著しいものがある。夙に支那・印度に由来する東洋文化は、我が国に輸入せられて、惟神の国体に醇化せられ、更に明治・大正以来、欧米近代文化の輸入によつて諸種の文物は顕著な発達を遂げた。文物。制度の整備せる、学術の一大進歩をなせる、思想・文化の多彩を極むる、高葉歌人をして今日にあらしめば、再び「御民吾生ける験あり天地の栄ゆる時にあへらく念へば」と謳ふであらう。明治維新の鴻業により、旧来の陋習を破り、封建的束縛を去つて、国民はよくその志を遂げ、その分を竭くし、爾来七十年、以て今日の盛事を見るに至つた。

 併しながらこの盛事は、静かにこれを省みるに、実に安穏平静のそれに非ずして、内に外に波瀾万丈、発展の前途に幾多の困難を蔵し、隆盛の内面に混乱をつつんでゐる。即ら国体の本義は、動もすれば透徹せず、学問・教育・政治・経済その他国民生活の各方面に幾多の欠陥を存し、伸びんとする力と混乱の因とは錯綜表裏し、燦然たる文化は内に薫蕕を併せつゝみ、こゝに種々の困難な問題を生じてゐる。今や我が国は、 一大躍進をなさんとするに際して、生彩と陰影相共に現れた感がある。併しながら、これ飽くまで発展の機であり、進歩の時である。我等は、よく現下内外の真相を把握し、拠つて進むべき道を明らかにすると共に、奮起して難局の打開に任じ、弥々国運の伸展に貢献するところがなければならぬ。

 現今我が国の思想上・社会上の諸弊は、明治以降余りにも急激に多種多様な欧米の文物・制度・学術を輸入したために、動もすれば、本を忘れて末に趨り、厳正な批判を欠き、徹底した醇化をなし得なかつた結果である。抑々我が国に輸入せられた西洋思想は、主として十八世紀以来の啓蒙思想であり、或はその延長としての思想である。これらの思想の根柢をなす世界観・人生観は、歴史的考察を欠いた合理主義であり、実証主義であり、一面に於て個人に至高の価値を認め、個人の自由と平等とを主張すると共に、他面に於て国家や民族を超越した抽象的な世界性を尊重するものである。従つてそこには歴史的全体より孤立して、抽象化せられた個々独立の人間とその集合とが重視せられる。かゝる世界観・人生観を基とする政治学説・社会学説・道徳学説・教育学説等が、一方に於て我が国の諸種の改革に貢献すると共に、他方に於て深く広くその影響を我が国本来の思想・文化に与へた。

 我が国の啓蒙運動に於ては、先づ仏蘭西啓蒙期の政治哲学たる自由民権思想を始め、英来の議会政治思想や実利主義・功利主義、独逸の国権思想等が輸入せられ、固陋な慣習や制度の改廃にその力を発揮した。かゝる運動は、文明開化の名の下に広く時代の風潮をなし、政治・経済・思想・風習等を動かし、所謂欧化主義時代を現出した。然るにこれに対して伝統復帰の運動が起つた。それは国粋保存の名によつて行はれたもので、澎湃たる西洋文化の輸入の潮流に抗した国民的自覚の現れであつた。蓋し極端な欧化は、我が国の伝統を傷つけ、歴史の内面を流れる国民的精神を萎靡せしめる惧れがあつたからである。かくて欧化主義と国粋保存主義との対立を来し、思想は昏逃に陥り、国民は、内、伝統に従ふべきか、外、新思想に就くべきかに悩んだ。然るに、明治二十三年「教育二関スル勅語」の渙発せられるに至つて、国民は皇祖皇宗の肇国樹徳の聖業とその履践すべき大道とを覚り、こゝに進むべき確たる方向を見出した。然るに欧米文化輸入のいきほひの依然として盛んなために、この国体に基づく大道の明示せられたにも拘らず、未だ消化せられない西洋思想は、その後も依然として流行を極めた。即ち西洋個人本位の思想は、更に新しい旗幟の下に実証主義及び自然主義として入り来り、それと前後して理想主義的思想・学説も迎へられ、又続いて民主主義・社会主義・無政府主義・共産主義等の侵入となり、最近に至つてはファッシズム等の輸入を見、遂に今日我等の当面する如き思想上・社会上の混乱を惹起し、国体に関する根本的自覚を喚起するに至つた。

 抑々社会主義・無政府主義・共差主義等の詭激なる思想は、究極に於てはすべて西洋近代思想の根柢をなす個人主義に基づくものであつて、その発現の種々相たるに過ぎない。個人主義を本とする欧米に於ても、共産主義に対しては、さすがにこれを容れ得ずして、今やその本来の個人主義を棄てんとして、全体主義・国民主義の勃興を見、ファッショ・ナチスの擡頭ともなつた。即ち個人主義の行詰りは、欧米に於ても我が国に於ても、等しく思想上・社会上の混乱と転換との時期を持来してゐるといふことが出来る。久しく個人主義の下にその社会・国家を発達せしめた欧米が、今日の行詰りを如何に打開するかの問題は暫く措き、我が国に関する限り、真に我が国独自の立場に遠り、万古不易の国体を闡明し、一切の追随を排して、よく本来の姿を現前せしめ、而も固陋を棄てて益々欧米文化の摂取醇化に努め、本を立てて末を生かし、聡明にして宏量なる新日本を建設すべきである。即ち今日我が国民の思想の相剋、生活の動揺、文化の混乱は、我等国民がよく西洋思想の本質を徹見すると共に、真に我が国体の本義を体得することによつてのみ解決せられる。而してこのことは、独り我が国のためのみならず、今や個人主義の行詰りに於てその打開に苦しむ世界人類のためでなければならぬ。こゝに我等の重大なる世界史的使命がある。乃ら「国体の本義」を編纂して、肇国の由来を詳かにし、その大精神を闡明すると共に、国体の国史に顕現する姿を明示し、進んでこれを今の世に説き及ぼし、以て国民の自覚と努力とを促す所以である。

2008年09月09日 (火)

今日のお題:日本國憲法公布の詔(1946年11月3日)

   公布の詔

 朕は、日本國民の總意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、樞密顧問の諮詢及び帝國憲法第七十三條による帝國議會の議決を經た帝國憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。
   御名御璽
    昭和二十一年十一月三日

      内閣總理大臣兼
         外務大臣    吉田 茂
      國務大臣    男爵 幤原喜重郎
      司法大臣       木村篤太郎
      内務大臣       木村 清一
      文部大臣       田中耕太郎
      農林大臣       和田 博雄
      國務大臣       齋藤 隆夫
      遞信大臣       一松 定吉
      商工大臣       星島 二郎
      厚生大臣       河合 良成
      國務大臣       植原悦二郎
      運輸大臣       平塚常次郎
      大藏大臣       石橋 湛山
      國務大臣       金森徳次郎
      國務大臣       膳 桂之助

2008年09月09日 (火)

今日のお題:國體明徴問題再聲明(1935年10月15日)

曩に政府は國體の本義に關し所信を披瀝し以て國民の嚮ふ所を明にし愈々其の成果を發揚せんことを期したり。抑々我國に於ける統治權の主體が天皇に存す事は我國體の本義にして帝國臣民の絶對不動の信念なり。

帝國憲法の上諭竝詔書の精神も亦弦に存するものと拜察す然るに漫りに外國の事例學説を援ゐて我國體に擬し統治權の主體は天皇に在さずして國家なりとし天皇は國家の機關なりとなすが如き所謂天皇機關説は神聖なる我國體に悖りその本義を誤るの甚しきものにして巖にこれを芟除せぎるべからず政教その他百般の事項總て萬邦無比なる我國體の本義を基としその眞髓を顯揚するを要す、政府は右の信念に基き茲に重ねて意のあるところを闡明し以て國家觀念を愈々明徴ならしめその實績を收める爲め全幅の力を效さんことを期す。

2008年09月09日 (火)

今日のお題:國體明徴聲明(1935年3月3日)

恭しく惟るに我國體は天孫降臨の際降し給へる御神勅に依り明示せられる所にして萬世一系の天皇國を統治し給ひ寶祚の榮は天地と倶に窮りなし,然れば憲法發布の御上諭に「國家統治ノ大權ハ天皇之ヲ祖宗二承ケテ之ノ子孫二傳フル所ナジ」と宣ひ憲法第一條には「大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と明示し給ふ即ち大日本帝國統治の大權は儼として天皇に存する事明なり若しも夫れ統治權が天皇に存せずして天皇は之を行使する爲めの機關なりとなすが如きはこれ全く萬邦無比なる我が國體の本義を誤るものなり近時憲法學説を繞り國體の本義に關聯して菟角の論議を見るに至れるな誠に遺憾に堪へず政府は愈々國體の明徴に力を致しその精華を發揚せん事を期す即ち茲に意のあるところを述べて廣く各方面の協力を希望す。

2008年08月24日 (日)

今日のお題:「「聖典」を求めて――河口慧海と「日本仏教」」(2008年度日本思想史研究会夏季セミナー「「古典」を考える」、福島県磐梯熱海温泉・金蘭荘花山、2008年8月23日?24日)

本発表は、近代日本における仏教者である河口慧海(1866?1945)の思想を、その二度の入蔵(チベット行)における相違をふまえつつ論ずるものである。河口は、日本人としてはじめてチベットに入った人物として知られ、その研究もチベット探検家としての側面が中心であった。

19世紀における「文明国」たちは、地図上の「空白」を塗りつぶすために、「野蛮・未開」の地を踏破することにしのぎを削っていた。それは一方では帝国主義の運動のしからしむるところであったが、他方で未知なる対象を既知としようとする「科学的」な動機に起因するものでもあった。しかし河口がはじめて入蔵した動機に存在していたのは、そのような「文明」的背景だけではない。むしろ彼には、真なる「釈尊の金口」を希求する心こそがあったのである。

「大乗非仏説論」に対して終生強い反駁を加え続け、梵蔵経典の中に真実の教え(「仏説」)を見出そうとした河口は、その「原理主義」(奥山直司)的な経典解釈ゆえに、ついに「日本仏教非仏説」にまで到達する。本発表では、「唯一の大乗国」という日本仏教におけるナショナリズム言説と仏教の近代化との狭間の中で彼が逢着した地平を明らかにしたい。このことは、近代における「聖典性」を有したテキストの存在形態の考察に資するものともなろう。

参考文献

河口慧海『チベット旅行記』講談社学術文庫1978年(1904年刊の復刻)
河口慧海『第2回チベット旅行記』講談社学術文庫1981年(1966年刊の復刻)
河口慧海/奥山直司編『河口慧海日記――ヒマラヤ・チベットの旅』講談社学術文庫2007年
高山龍三編著『展望河口慧海論』法蔵館、2002年
奥山直司『評伝河口慧海』中央公論新社、2003年

2008年08月01日 (金)

今日のお題:「帝国」の誕生:19世紀日本における国際社会認識(黄自進編『東亜世界中的日本政治社会特徴』台北・中央研究院人文社会科学研究中心亜太区域研究専題中心)、2008年、139?164頁

   はじめに(脚注省略)

1945年の第二次世界大戦の終結にともない、「帝国」を自称する国家が次々と消滅していったのちも、「帝国」という言葉は、分析概念(あるいは政治的標語)としての「帝国主義」の語とともに人口に膾炙されたが、1990年代におけるマルキシズム思潮の後退は、この意味における用法をもなかば死語化させることとなり、それ以降は、国際政治における強権性を表現する比喩として用いられるに過ぎなくなった。しかし、A・ネグリAntonio NegriおよびM・ハートMichael Hardt両氏の共著になるEmpire(2000年)が世に問われ、東アジア諸国で『帝国』と翻訳されたことによって、この語は再び国際秩序を叙述する術語として用いられるようになった。

ネグリ氏らが「帝国Empire」と呼んだのは、アメリカ合衆国のような本来主権国家でありながら、同時にその枠組みを逸脱した新しい国家主権のありようであった。グローバリゼーションの進展にともなって現れたこの「帝国」は、本来有していたみずからの領域(国境)を越え、他の領域(主権国家)を周縁化していく存在であり、それは、その権力がみずからの領域内において、均質的に、そして排他的に存在していた近代主権国家とは本質的に異なっている。

しかしながら、「帝国」ということばが、東アジアにおいて広く受容されたとき、それは、ほかの政治主体を周縁化する存在としてではなく、むしろ或る限られた領域を有する近代的な独立主権国家の謂で用いられたのであり、その第一条に「大韓国は、世界万国に公認された自主独立の帝国である」と規定された「大韓国国制」(1899年)は、まさに「帝国」がいかなる意味で受容されたかを示すものと言えるであろう。すなわち「帝国」は、冊封された国王の治める「王国」とは異なり、主権者たる元首としての皇帝が治める独立不羈の一国家として認識されていたのである。
また中国史上、唯一「帝国」の名を冠する国号を持った国家が、袁世凱が中華民国に代えて建国宣言した中華帝国(1915年・3ヶ月で廃絶)であったことは、象徴的であった。すなわち主権者の所在を明示することばとしての「民国」の対語をなす「帝国」は、「民国」同様、近代的国家概念の範疇におけることばであり、この点で袁の中華帝国は、周縁性を有したかつての王朝国家とは断絶しているのである。

このようなすぐれて近代的な意味を有する「帝国」ということばの用例を、中国古典に求めることはできない。なぜならば、そもそもこのことばが、keizerrijk(皇帝の国)というオランダ語を翻訳した徳川時代後期の蘭学者が造ったものであり、いわゆる近代漢語の一種だからである。このことは、1866(慶応2)年刊の堀達之助編『改正増補・英和対訳袖珍辞書』に、「Empire」を「帝国」と記しているのに対し、中国で出版されたW・ロプシャイトWilliam Lobscheidの『英華字典』(1866?1869年)には、「Empire」を「国、皇之国、中国、中華、天下」などと記すだけで、「帝国」の語が見えないことからも容易に知ることができる。

ことばはたんなる文字や音声ではない。或る対象を、「それ」として認識するための意識を形作る根本的な観念なのであって、ことばのないところに認識はない。「帝国keizerrijk」もまた同様であり、18世紀末日本蘭学者が、このことばを生み出したことにより、それ以降の日本知識人は、この「帝国」なる新語をもって世界を分節し、また自己をそのうちに位置づけていくことが出来たのである。以下本稿は、「帝国」をめぐる言説の受容を通して当時の日本人における世界認識の転回を明らかにするものである。

2008年06月22日 (日)

今日のお題:日本における「帝国」概念の形成(分科会C 「比較政治学としての政治思想史:日本の事例を中心に」、2008年度日本比較政治学会、2008年6月21-22日、慶應義塾大学日吉キャンパス)

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2008年06月15日 (日)

今日のお題:地域在宅ケアを考える・5[座談会]、『公衆衛生』2008年06月15日(Vol.72 No.6)、、483?489頁

■特別記事■
地域在宅ケアを考える・5[座談会]
日本社会における「死の文化」変容―在宅ホスピスの現場から見えてくるもの
(岡部 健・相澤 出・竹之内 裕文・桐原 健真・三井 ひろみ)

http://www.fujisan.co.jp/Product/839/b/191915/

2008年06月01日 (日)

今日のお題:「地球規模化する世界での普遍のつくりかた 吉田松陰と横井小楠」、『大航海』No.67「特集 日本思想史の核心」2008年6月1日、150?157頁

『大航海』No.67
「特集 日本思想史の核心」
桐原健真「地球規模化する世界での普遍のつくりかた 吉田松陰と横井小楠」

新書館 - 大航海No.67 - 雑誌紹介
http://www.shinshokan.jp/pub/normal/3151.html

2008年03月08日 (土)

今日のお題:仏陀を背負いて西蔵へ――河口慧海と〈日本仏教〉(東北仏教史談話会、東北大学、2008年3月8日)

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