2010年09月29日 (水)

今日のお題:蔵王山行

以前から行こう行こうと思っていた蔵王の御釜に行って来ました。ああ、これは修行するしかないって感じのロケーションではありますが、これが日本であるとは信じられない、というか、色が付いてないと地球じゃないと言われても信じるかも知れません。

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さて、今回は蔵王における神仏の距離を中心にみてみたいと思って回ってみましたが、戦後に結構修復した部分も多く、いかにも親和的になっていたのが何とも。こういう所に文句を付けるのが、研究者の悪いところなのでしょう。

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一応ここが蔵王の奥の院と言うことだそうですが、この像はどうも近年お祀りしたような感じで、なんとも申せません。

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祠自体は相応に時を経ているようで、万延年間の奉納物もあったりしました。まぁ、万延ってそんな古くないなぁ、と、こういう所に文句を付けるのが(以下略)。

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おそらくここが重要であったのは、この不動滝のお陰なんだろうと思うのですよ。もう一つ、三階の滝というものもあるのですが、それも含めて聖地なんでしょうね。

まぁ、滝というものは、単に水が落ちるだけなのですが、量が質に転化するともうしますか、あれだけの水が落ちると、人智を越えた存在になるわけであります。

……揚水発電所とか無粋なことを言わないように。

ちなみに、御釜の上は摂氏4度。奥の宮に温度計がありました。

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下界が20度ちょっとだったのでずいぶん下がったもんです。標高が1700m以上あるそうなので、標高100mあたり1度という理科の授業で習ったとおりのことを体験した次第。

2010年09月04日 (土)

今日のお題:日本宗教学会(2010年09月04日?05日:文京区・東洋大学)

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日本宗教学会に行ってきました。今回は物見遊山でございます。東洋大学といえば井上円了。折角なので撮ってきました。

将来的に著作権フリーに使用できる肖像があるのは良いことです。

知人の発表は当然ですが、今回の目玉は、パネルの「戦後知の可能性―宗教と歴史の交差―」です。

林  淳 「村上重良と政教分離」
安丸 良夫「黒田俊雄と顕密体制論」
島薗 進 「吉本隆明の宗教観と宗教性」
磯前 順一「酒井直樹と普遍主義」
桂島 宣弘:コメンテータ

これだけ見てもかなりなものであることがおわかり頂けるかと。

重良に関して、「社会的実践への評価と研究的評価との混在を弁別するには、テキストを離れた理解が必要である」というご指摘は、彼だけの話ではないのではないかなぁという想いを強くした次第。

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さて、東洋大学のお隣に、白山神社がございます。懇親会後、夜中に通るとネコ集会が開催されていて仲々に盛況でした。

ふと旁らにこんなものがあったりしました。

孫文の座った石というのが記念されています。

しかし、石って……。

まぁ、これもフリーの肖像ということで。

そいえば、孫文で思い出したのですが、彼が「民国」と言い出したのはいつからなのかなぁ、ということを考えてます。まぁ、いつもの「帝国」論からのお話しなんですが。

韓国の方では、結構昔から「民国」という表現があるらしいのですが、それと直接的に連続するのかは不明です。

2010年08月29日 (日)

今日のお題:夏風邪

時差ボケはついに修正されることなく、かつ限りない食欲不振のまま帰国するも、そのまま引き続き夏風邪に入ってほぼ一週間。病床と大学を往復する日々でございます。なんとも情けのないことで。

とにかく今回の伏臥はきついことこの上なく、そのお陰で方々に不義理を致しまくりでございます。まぁ、熱も落ち、おおむね復調しつつはあるのですが、脳が上手く動かず、こうして駄文を書き散らかすだけなのでございます。

家には本がほとんど無いので、読むものがないため、宇野弘蔵の『資本論入門』なんかを読んだりしているのですが、見開き一つに改行が一つもない文章は、かなり脳に響きます。なんかなぁ。

2010年08月20日 (金)

今日のお題:The Quest for Mahayana: Kawaguchi Ekai and the Buddha's 'Golden Words'

KIRIHARA Kenshin
The Quest for Mahayana: Kawaguchi Ekai and the Buddha's 'Golden Words'
Panel: RETHINKING JAPANESE BUDDHISM: KAWAGUCHI EKAI AND MURAKAMI SENSHŌ
XXth IAHR Quinquennial World Congress, Canada, Toronto, University of Toronto
2010. Aug. 20 (Friday)

…風邪とかで書くのを忘れてました。

2010年08月16日 (月)

今日のお題:カナダ行

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IAHR(国際宗教史学会)のためにカナダのトロントに来てます。

時差ボケのせいで、日本にいるときより早起きです。とはいえ6時前に起きるので、早起きというものとは、本質的に違うのかも知れません。

なんにせよ早起きするとおなかがすくのですが、さすがに食堂はまだ開いてませんので、対面の24時間スーパーに参ります。すばらしきかな24h。

おそらくこの先もお世話になると思いますので、よろしくお願いいたします。>なにを?

TERIYAKI なる弁当もございましたが、さすがにここまで来て照焼チキン弁当をいただくのはいかがかと。ちなみに、TERIYAKIは醤油の対米輸出のために開発されたものらしいです。やるな亀甲萬。

明け方のホテル前風景。

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2010年08月11日 (水)

今日のお題:成仏・往生そして観念

成仏往生というものは、近世のはじめころにはほとんど同じような意味でとらえられるようになったと、先日の研究会で伺いました。嗚嗟、たしかに往生したらほぼ成仏確定だよなぁと思いつつ、しかしながら、本来的には、とにかく最低でも極楽浄土の下品下生にでも往生して、平穏な浄土で修行して成仏するというという階梯を踏む必要があるわけで、そうそう一緒くたにされてもなぁと思ったりしたわけです。

もちろん、真宗なんかでは、往生即成仏なわけですから、往生と成仏は一緒といっても過言ではありません。とはいえ、これは阿弥陀さまの大慈悲のお陰なわけですから、これはこれで特別な解釈であると申せます。

そんなことを思っておりましたところ、先日、ふと「亡くなった方には『往生しろよ』とは言わない」という事実に気付きました。

普通、こういう場合、「成仏しろよ」と言うわけでありまして、「往生」というプロセスを経た上での「成仏」でありますから、やはり今日的用法においても、往生と成仏とは必ずしも一致しないようであります。

考えて見ますと、時代劇で辻斬りでやられた死体に向けて「成仏しな」ということばをかける一方で、ヤクザ映画では、ドスや拳銃をお持ちになった方が、「往生せいやぁ」と襲いかかってくるわけです。

まぁ、「往生せいやぁ」と言われると、ヤクザではなく某警察官の方が想起されるわけですが。

さて、それはさておき、「往生せいやぁ」と申しますと、さらに想起される吶喊(とっかん)が「観念せいやぁ」でありましょう。

「観念する」は「往生する」と同様、現代日本語においてしばしば耳にすることばでありますが、この場合の「観念」は現代日本語における「観念Idea」とはずいぶん違います。

と、もうしますか、「観念Ideaする」ってどういう状態なんでしょうね。よくよく考えてみると、恐ろしい感じがします。「哲学する」とか「科学する」以上に、不可解な表現です。

話を戻しまして、「観念する」は、「観想する」と同じ意味でありまして、真理や仏を思い描くことであり、唱名念仏以外の念仏のことであると申して宜しいかと思います。つまり、自分の成りたい仏を思いおこすということですね。

こういった修行を積むことで往生、さらには成仏に至るのですから、観念は往生・成仏の前提条件であるとも言えます。

かくして、現代日本語における「成仏」理解には、以下のような過程が想定されていると結論されるのであります。

1 「観念しな」と暗殺者登場…観想念仏の段階
   ↓
2 「往生せいやぁ」と吶喊…浄土往生を願う段階
   ↓
3 「成仏しろよ」と捨て台詞…浄土での成仏を願う段階

このようにくだくだしく述べ連ねて参りますと、そう簡単に往生=成仏とは言えないのだなぁと思うと同時に、日本における思考様式の基礎に仏教なるものが非常に根深く存していることがわかります。

日本人の死に対する観念というものも、実際にはこのような過程を有しているのでしょうが、日頃あまり意識していないと「死」だけが突然現れるということになりかねないのではないかと思う次第。

2010年08月05日 (木)

今日のお題:史的国体論

近代国体論というものを考えたとき、たんなる前近代的な尊王論の延長上に求めるのではなく、これを歴史的に把握しようとする語り――なかんづく近代史学との関係で議論すべきなのではないかと思うのです。これを、「史的国体論historischer Kokutaismus」と名付けてみました。

わざわざ文法的にも怪しいドイツ語で書く必要があるのかは別としまして、歴史性を抜きにした国体論というのは、どうしても超越性を導入しなければ成立しないものであり、本居宣長の「天壌無窮の神勅」であったり会沢正志斎の「東方君子国説」であったりするわけでございます。

こういったものを信じられなくなったからこそ、近代国体論は、「万世一系の皇道」という歴史性(時間性)に依拠せざるを得なくなった訳であります。しかしその基礎が歴史性に根拠していがゆえに、これを共有できない人々――新国民――にとっては、どうやっても国体論を承認できなくなるという問題が出てくるわけです。この点で、近代国体論は、その初手から自己矛盾を含んだイデオロギーであったとも申せます。

まぁ、血統の長さがそれ自体価値であるかというのは、殷と周との王朝のいずれが是とされるべきかという近世における議論を想起していただければ、かなり難しいところであることが分るのですが、この点については、また改めて議論したいと思います。

殷は三十代六百五十年……周は三十六代八百六十七年……国祚の長短を以ていへば、質(殷)なるもの短くして文(周)なるもの長きが如し。然れども殷は太甲・太戊・盤庚・武丁限りある賢君にて天下平らかなり、紂王に至りて暴虐を以て亡ぶ。……周と室町は永きが如しと雖も、未だ亡びざる数代の前より既に威令行はれず。文質の得失判然たり。(吉田松陰「政体論」1851(嘉永4)年2月20日)

だらだら続けているから良いというわけでもない――若い頃の松陰は、そういうことを平気で言える人物であったと申せます。

2010年08月03日 (火)

今日のお題:2010年7月27日ミニッツペーパー

日本文化を考える―国際共修ゼミ―最終回のミニッツペーパです。
閲覧用のパスワードは既にお知らせしているものになります。

2010年07月20日 (火)

今日のお題:未知との遭遇

大学から帰宅した際に、西の空に浮かぶ謎の発光体を発見。一瞬、なんなのかが分かりませんでした。

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ドーム型の発光体というのが、なんとも惹かれます。

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まぁ、ただの雲なんですけど、形も変だし、色使いも変です。こういうものを見ると、人工の限界と天工の偉大さを感じたりするわけです。

2010年07月02日 (金)

今日のお題:桐原健真「「帝国」の思想」(吉田忠編『19世紀東アジアにおける国際秩序観の比較研究』財団法人国際高等研究所、2010年06月25日、111?128頁)

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吉田忠先生のお陰で論文を出せました。ありがとうございます。

「帝国」ということばが、「keizerriik」というオランダ語からの翻訳語であることについては、繰り返し方々で申しておりますが、今回は、この語を忌み嫌った会沢正志斎が、その最晩年に至って、ついに「帝国」の語を肯定的に用いるようになったという彼の 精神的成長史 思想的転回を描いております。

「西夷称するところの笑蓋爾(ケイヅル)なるもの、原(もと)羅馬の先祖の名に出づ。蘭学家、訳して帝となすは、ただ漢字を仮りて以て尊卑の等を分てるのみ。その実はすなはち我が所謂帝の義にあらず。故に今は帝国等の字を用ひざるなり。」

こんなことを言っていた人が、やがて、「神州は万国よりも帝国と号して古より尊れしを……」(「時務策」1862)なんて言うようになるのですから、世の中みんなイデオロギーじゃないかという間違ったスネ方をしてしまいそうになります。

山村才助の『訂正増訳采覧異言』の記述を「恣意的」に読み替え、さらに日本を「七帝国」の一つとする『北槎聞略』でのほんのわずかな記載をも見逃さず、みずからの主張の傍証とする会沢の「実証性」を見るに付け、学者としての彼のおもしろさを再認識する次第でございます。

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