2012年07月20日 (金)

今日のお題:桐原健真「「開国物語」を解体する」藤原書店『環』50号、2012年、436?439頁

*桐原健真「「開国物語」を解体する」藤原書店『環』50号、2012年、436?439頁

中野剛志『日本思想史新論:プラグマティズムからナショナリズムへ』(ちくま新書、2012年)の書評の名を借りた「鎖国日本」言説批判。

2012年06月27日 (水)

今日のお題:突発性発心

息子が突発性発疹になったので、ちょっと調べてみようと思ったら、「突発性発心」と変換されました。「発疹」もイヤだけど、いきなり「発心」されるのもちょっとイヤだなぁと思うのは親心か、職業病なのか。

まぁ、ようやく熱も無くなり、発疹も消えてきたので、一安心

ちなみに、世間様では結構、子供に発心されて往生している方がおられるようで。

"突発性発心" -突発性発疹 - Google 検索

ちなみに「突発性発心」で思い当たるのは、花山天皇くらいでしょうか。他にもいるかも知れませんが。

2012年06月04日 (月)

今日のお題:月蝕

月蝕
図らずも部分月蝕を見てしまったので、何となく写真に撮ってみた次第。

日蝕やら金星の太陽面通過とか、面倒な仰々しい準備をしないと見られないものは、スルーして、何の準備も要らないものだけを見て、とりあえず手元にあった携帯で撮るという非常に自分の研究姿勢に合致した気がする初夏の観月。

嗚嗟、そう言えば、金環日蝕の時は、7時半ごろに外をみて、なんか暗いなあと思ったのですが、あれが日蝕だったんでしょうか。

2012年05月12日 (土)

今日のお題:日本近代仏教史研究会第20回研究大会傍聴

聞きたい発表がたくさんあって、且つ自分が発表しなくて良い学会というのは、なんとすばらしいモノなのでしょうか。

日本近代仏教史研究会 - 第20回研究大会のプログラム
http://www.mjbh.jp/release120304.html

個別の研究発表も面白かったですし、シンポも良かったです。と、いうか、研究発表というレベルではなかったと思います(良い意味で)。

吉永先生のグループがこの数年取り組んできた業績の全体像(「『新佛教』研究の現状と展望」)がみれたのも良かったですが、小川原さんの発表「対華二十一箇条要求と仏教―布教権をめぐって」が、これまた秀逸というか、なんでそんなところに眼を付けちゃったのというところで、「そうかそれはそういう意味があるのね」という歴史の見方の面白さを改めて教えてくれる内容でした。

私どもは、条文に残ったものを見がちですが、小川原さんは消えたモノにも意味があると指摘されるわけです。何とも慧眼でございます。

シンポジウムの「近代の仏教とキリスト教」もこれまた当方の楽しみとしていたところであります。

正直、近代仏教を作ったのはキリスト教だと思っている――すごい誤解を生む余地のある書き方ですが――ので、面白く拝聴しました。ただやっぱり「キリスト教≒プロテスタント」という理解の傾向は、すこし冷静になって考えてみる必要があるような気がします。

「事実としてそうだったからしようがない」というのは、どこかで聞いた論法なわけで、そもそもの前提となる概念が普遍性を有しているのかという問題を、一つクリアしなければならないわけですが、とりあえず今日はここまで。

2012年05月11日 (金)

今日のお題:桐原健真「「あの世」はどこに行ったか」、スマート・エイジングカレッジ、2012年05月11日、仙台市・東北大学スマート・エイジング国際共同研究センター

スマート・エイジングカレッジで講義をしてきました。

2012年度スマート・エイジングカレッジhttp://www2.idac.tohoku.ac.jp/dep/sairc/college_admission_archive.htm

まいどのことながら「「あの世」はどこに行ったか」なのですが。これが面白いことにヤレばヤルほど中身が変わってくると言うか、定見がないというか。感想の一部に「話が多岐に渉りすぎて、焦点が絞れてない」とのご指摘が。反省します。

とりあえず、「お迎え」を宗教性の後退としてではなく、宗教性の本質ととらえることでのQOL向上の可能性を考えて見た次第。あと、いつもの「どうして近代日本はこうなっちゃったんだろう」という思想史的考察もやってます。

2012年04月17日 (火)

今日のお題:佐藤勢紀子・末松和子・曽根原理・桐原健真・上原聡・福島悦子・虫明美喜・押谷祐子「共通教育課程における「国際共修ゼミ」の開設:留学生クラスとの合同による多文化理解教育の試み」『東北大学高等教育開発推進センター紀要』6号、2011年

うっかりと、書き忘れていた、やはり去年の論文。共著論文ってのもずいぶん久しぶりですね。

(2011)佐藤勢紀子・末松和子・曽根原理・桐原健真・上原聡・福島悦子・虫明美喜・押谷祐子「共通教育課程における「国際共修ゼミ」の開設:留学生クラスとの合同による多文化理解教育の試み」『東北大学高等教育開発推進センター紀要』6号、2011年、143-156頁

2012年04月12日 (木)

今日のお題:トマス・ツィード著(桐原健真、オリオン・クラウタウ共訳)「米国オカルティズムと日本仏教─A・J・エドマンズと鈴木大拙、そしてトランスロカティヴな歴史叙述」、『年報日本思想史』11号、2012年、1-31頁

トマス・ツィード著(桐原健真、オリオン・クラウタウ共訳)「米国オカルティズムと日本仏教─A・J・エドマンズと鈴木大拙、そしてトランスロカティヴな歴史叙述」、『年報日本思想史』11号、2012年、1-31頁

かなり難渋しました。イヤ、本当に。一番苦労したのはクラウタウ氏なのですが。

近代日本でオカルティズムが異様に流行した世界史的背景について考えさせてくれます。ただ、なんでその後、あんなに一気に退潮したのかは、当方にもよく分かりません。ある程度、見通しは立っているのですが、もうちょっと確証が欲しいところではあります。

2012年03月24日 (土)

今日のお題:桐原健真「「開国」言説と戦後日本」(仙台近現代史研究会、於仙台市・東北大学、2012年03月24日)

桐原健真「「開国」言説と戦後日本」(仙台近現代史研究会、於仙台市・東北大学、2012年03月24日)

インフルではないのですが、非道い風邪をひいた状態でやりました。まとまらないのは、風邪のせいなのか、目論見の悪さなのか。ちと不明瞭ですが、とりあえず、1980年代以降をやろうとしたのですが、どうも年代論でやるのには無理があるのではないかと自分自身で思いながら、やはりそのように指摘されてしまった発表。

系統図なんかで表現するのが良いのかなぁ。

2012年03月12日 (月)

今日のお題:桐原健真「「第三の開国」とはなにか? :戦後日本における自他認識の転回(1945〜1980)」『文化』74巻3号、1−20頁、2011年

桐原健真「「第三の開国」とはなにか? :戦後日本における自他認識の転回(1945-1980)」『文化』74巻3号、1-20頁、2011年

去年出ているはずの今年の論文。良くある話です。

要旨は英文なので、そちらの日本語訳から。


「我々は第三の開国期にある」――この掛け声のもとで、20世紀後半の日本の政治家・企業家・知識人の多くが、日本改革のためのプランを提唱してきた。しかしながら、この「第三の開国」の意味するところは、時代によって異なっている。この「第三の開国」に関しての言説の変化は、日本人における自他認識の転回を示しているのである。

1853年にアメリカ海軍のペリー提督が蒸気砲艦によって始めた「第一の開国」は、「鎖国」日本を近代化することに成功する。しかし最終的に、近代日本は、その軍事的野心のため、「西洋文明」に戦端を開くこととなる。そして周知のように、この戦争は1945年に、日本の徹底的な敗北によって終わったのである。「第二の開国」はこの無条件降伏から始まった。それは、アメリカ陸軍のマッカーサー元帥による統治の下で、この「12歳の少年」を民主化する道であった。この「第一・第二の開国」がともに、アメリカ合衆国による「啓蒙への善導」あるいは「外圧」によって展開されたために、「第三の開国」という語りもまた、日本人の対米感情を反映したものであった。

一方、この「第三の開国」言説が、1970年代の日本人自身による日本論・日本人論の隆盛とリンクしてからは、日本人の「本質」「鎖国」的閉鎖性とみなす多くの日本人が、自分たちを「開かれなければならない」民であると考えるようになる。この「第三の開国」の主張が日本人の本質論としての語りとなったために、日本人はみずからの「本質」を改革するという「大事業」に着手しなければならなくなったのである。かくして彼らはみずからが召喚した「永久開国論」に苦しめられ続けることになる(これは今でも変わらないのだが)。そこには、「鎖国日本」言説に由来する自己認識への焦燥が、コインの両面として存在しているのである。


原文は以下の通り。でも英文タイトルが間違っていることをさっき指摘されました。

誤 What is the "third opining" of Japan?

正 What is the "third opening" of Japan?

なので直しました。「third opining」ってなんだろうね。「second opinion」なら聞いたことありますが。


What is the "third opening" of Japan?: revolution of self-and-other consciousness in post war Japan (1945-1980).


"We are in the age of the third opening of our country (第三の開国期)." Under this slogan, many Japanese statesmen, entrepreneurs, and intellectuals asserted plans for the reform of Japan since the late twentieth century. However, the meaning of the phrase "third opening" changed with the times. This change of discourse regarding the "third opening" represents a revolution in Japanese self-and-other consciousness.

The "first opening", which was started by Commodore Perry of the U.S. Navy with steam gunboats in 1853, succeeded in the modernization of the closed Japan. But eventually, militaristic ambitions led modern Japan to declare war against "western civilization". This war ended in a signal defeat of Japan in 1945. The "second opening" started from the unconditional surrender. The "second opening" was a means to democratize the "twelve-year-old boy" (Japan) under General MacArthur. Because both the "first and second opening" were promoted by the good guidance or the external pressure (外圧) of the United States, the discourse of the "third opening" also reflected Japanese sentiments toward the Americans.

On the other hand, after this discourse linked to the flourishing of essays on Japan and Japanese (日本論・日本人論) written by Japanese people in the 1970’s, many Japanese, who regarded their own nature as based around the exclusionism of the closed country (鎖国), thought themselves to be ae people who ought to be opened. Because advocacies of the "third opening" had become a narrative about the Japanese essence, Japanese people were to set their hands to a grand program to reform their own nature. In this way, they were (are) suffering Permanent Opening (永久開国論) which they themselves brought about. This and an ongoing dissatisfaction in Japanese self-consciousness linked to the discourse on closed Japan (鎖国日本) were as two sides of the same coin.



今気付きましたが、巻頭論文でした。久しぶりですな。っていうか、論文自体が久しぶりか。むぅ。

2012年02月20日 (月)

今日のお題:東北大学東北アジア研究センターシンポジウム「聖典とチベット:仏のことばを求めて」

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日時:2012年2月19日(日)13:00?18:00 入場無料 参加自由
場所:東北大学片平さくらホール 2 階 仙台市青葉区片平2-1-1


講演(1) 奥山直司(高野山大学)
 「河口慧海による梵語・チベット語仏典の収集とその意義」
講演(2) 長岡龍作(東北大学)
 「日本美術史研究者にとっての河口コレクション」

発表(1) 高本康子(群馬大学)
 「多田等観関連資料の現在」
発表(2) 菊谷竜太(東北大学)
 「インド仏教聖典の翻訳とチベット大蔵経の形成」
発表(3) 井内真帆(日本学術振興会)
 「蔵外文献をめぐる学界動向と日本所蔵蔵外文献の活用に対する提案」
発表(4)吉崎一美(ネパール研究家)
 「河口コレクションとネパール仏教」

パネリストによるセッション


※パネルセッションの司会をやりました。

東北大学 東北アジア研究センター
http://www.cneas.tohoku.ac.jp/news/2012/news120117.html

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