2008年09月09日 (火)

今日のお題:ソ連邦の対日宣戦布告についての陸軍大臣布告(1945年08月10日)

   陸軍大臣布告

 全軍将兵に告く、「ソ聯」遂に皇国に寇す、明分〔名分カ〕如何に粉飾すと雖も大東亜を侵略制覇せんとする野望歴然たり、事茲に至る、又何をか言はん、断乎神州護持の聖戦を戦ひ抜かんのみ。

 仮令、草を喰み土を噛り野に伏すとも断して戦ふところ死中自ら活あるを信す、是即ち七生報国「我一人生きてありせは」てふ楠公救国の精神なると共に、時宗の「莫煩悩」「驀直進前」以て醜敵を撃滅せる闘魂なり、全国将兵宜しく一人を余さす楠公精神を具現すへし、而して又時宗の闘魂を再現して驕敵撃滅に驀直進前すへし。

2008年09月09日 (火)

今日のお題:大塩平八郎檄文(『日本経済大典』1837〈天保8〉年)

四海困窮せば、天禄永絶えん、小人に国家を治しめば、災害並到ると、昔の聖人深く天下後世の、人の君、人の臣たる者を誠め被置候故、東照神君も、鰥寡孤独におゐて尤憐を加へ候は 仁政の基と被仰候し、然る処、此二百四五十年、大平の間に追々上たる人、驕奢を公に授受して、贈貰ひ致し、奥向女中の因縁を以て、道徳仁義もなき拙き自分として、立身重役に歴上り、一人一家を肥し候工夫のみに心運し、其領分知行の民百姓共に、過分の入用金申附、是迄年貢諸役に甚敷苦む上、右の通無体の儀申渡、追々入用かさみ候故、四海困窮に相成侯に付、人々上を怨ざる若無き様に成行候得共、江戸表より諸国一同右之風儀に落入、天子は足利家以来、別て御隠居御同様、賞罰の柄を御失ひに付、平民の怨み何方へ告訴とて、告訴る方なき様乱れ候に付、人々の怨気天に通じ、年々地震火災、山も崩れ水も溢れしより外、種々様々、天災流行、遂に五穀飢僅に相成、是皆天より深く御誡の難有御告に候得共、一向上たる人心も得す、猶小人奸那の輩、大切の政事を執行ひ、天下を悩め、金米を取立候手段計に相懸り、実に以小前百姓の難儀を、我等如き草の陰より察し悲み候得共、湯王武王の勢位もなく孔子孟子の道徳も無ければ、徒に塾居致し候処、此節は米価愈高直に相成、大坂之奉行、并諸役人共万物一体の仁を忘れ、得手勝手の政道を致し、江戸へは廻来之世話致し、天子御在所の京都へは、処米の世話いたさゞる而已ならず、五升壹升[ママ]位の米を買下候者共を召補抔致し、実に昔葛伯と云大名、其農人弁当を持参る小児を殺し候も同様、言語同断、何れの土地にても、人民は徳川家御支配の者に無相違処、如此隔を附候者、全く泰行等の不仁にして、其上勝手我侭の触書等を度々差出、大坂市中遊民計を大切に心得候は前にも申通、道徳仁義も不存拙き身故にて、甚以厚か間敷不届の到り、且三都の内、大坂の金持共、年来諸大名へ貸附け候利足金銀并扶持米等莫大に掠取、未曾有之有福に募り、町人の身を以、大名の家老用人之格に被取用、又自己の田畑新等を夥敷所持、何等之無不足暮し、此節の天災天罰を見ながら、畏もいたさず、餓死貧人乞食共、敢て不救共、身は膏梁の味とて、結構の物を食ひ、妾宅等へ入込、或は揚屋茶屋へ大名家来を誘引参り、高価の酒を湯水を飲も同様に致し、此難渋の時節に絹服を纏ひ、河原者と妓女共に迎ひ、平常同様の遊楽に耽り候者、何等の事に候哉、紂王長夜の酒盛も同事、其所の奉行諸役人、手に握り候政を以、右之者共を取扱、下民を救ひ候儀も難出来、日々堂島の米相場計を致し候事、実に禄盗人にて、決て天道聖人之御心に難叶御扱ひ無き事に候、於是塾居の我等、最早堪忍難成、湯の勢ひ、孔孟の徳はなけれども、無拠天下の為と存じ、血族の禍ひを侵し、此度有志の者と申合、下民を悩し苦しめ候、諸役人共を誅戮致し、引続き奢に長じ居候、大坂市中金持の町人共を誅戮可致候間、右之者共、穴蔵に貯置候、金銀銭並諸蔵屋敷内へ隠置候俵米、夫々分散配当致し遣し候間、摂河泉播之内、田畑所持不致者、縦令所持致候共、父母妻子家内の養方難出来候程の難渋者へは、右金米為取遣候間、何日にても、大坂市中に騒動起り候と聞得候はゞ、里数を厭ず、一刻も早く、大坂へ向け馳参り候面々へ、右米金遺可申候、鉅橋鹿台の粟財を、下民へ被興候御遺意にて、当時の饑饉難儀を相救遣し、若又其内器量才力等有之者には、其々取立不道の者共を、征伐致す軍役に使ひ可申候、必一攘峰起の企とは違ひ、追々年貢諸役に到迄軽致し、都て中興神武帝御政道の通り、寛仁大度の取扱ひ致し、年来蹣奢淫逸の風俗も、一洗に相改め、質素に立戻り四海天思を難有存じ候て、父母妻子を取養ひ、生前の地獄を救ひ、死後の極楽成仏を、眼前に為見遣し、堯舜天照皇太神の時代には復し難けれ共、中興の気象に恢復とて、立戻可申候、此書付、一々村々へ為知度候得共、夥敷事に付、最寄人家多き大村の神殷等へ張置候間、大坂より廻し有之番人共へ、不為知様心掛早々村々へ相触可申候、万一番人共見附、四ヶ所の奸人共へ、注進いたし候様子に候はゞ、無遠慮面々申合せ、番人を不残打殺し可申候、若又大騒動起り候と承りながら、疑惑致し馳参り不申、又は遅参に及候得者、皆金持之米金火中の灰と相成、天下の宝を取失ひ可申候間、跡にて必我等を恨み、宝を捨て候不道若と、陰言不致様、為其一同へ触為知候、尤是迄地頭村方にある、年貢等に拘り候諸記録帳面類は、都て引破り、焼捨可申候、是往々深慮り有事にて、人民を困窮為致不申積に候、乍去此度の一挙、当朝平将門、明智光秀、漢土劉裕、朱全忠の謀反に類し候と申ものも、是非有之道理に有之候得共、天下国家を纂盗致し候欲念より、おこり候ことには、更に無之候、日月星辰、神鑑有之事にて、詰る処は、湯武、漢高祖、明大祖、民を弔し、天罰を取行ひ候誠心而己にて、若疑敷相覚候得者、我等所業、終る所を爾等篤と限を開きて見よ、
 尚々、此書付小前之者へは、道場坊主或は医者等より、篤と読為聞可中候、若庄屋年寄眼前之禍を畏れ、一己に隠し候はゞ、追て急度其罪を可行候、


  奉天命致天罰候摂河泉播村々

 庄屋年寄小前百姓共え

    天保八丁酉年 月 日

2008年09月09日 (火)

今日のお題:治安維持法(『官報』3797号・大正14年4月22日)

第一条 国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
前項ノ未遂罪ハ之ノ罰ス

第二条 前条第一項ノ目的ノ以テ其ノ目的タル事項ノ実行二関シ協議ヲ為シタル者ハ七年以下ノ懲役又ハ禁錮二処ス

第三条 第一条第一項ノ目的ヲ以テ其ノ目的タル事項ノ実行ノ煽動シタル者ハ七年以下ノ懲役又ハ禁錮二処ス

第四条 第一条第一項ノ目的ノ以テ騒擾,暴行其他生命,身体又ハ財産二害ノ加フヘキ犯罪ヲ煽動シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁鋼二処ス

第五条 第一条第一項及前三条ノ罪ノ犯サシムルコトヲ目的トシテ金品其ノ他ノ財産上ノ利益ノ供与シ又ハ其ノ申込若クハ約束ノ為シタル者ハ五年以下ノ懲役又ハ禁鋼二処ス情ノ知リテ供与ヲ受ケ又ハ其ノ要求若ハ約束ノ為シタル者亦同シ

第六条 前三条ノ罪ノ犯シタル者自首シタルトキハ其ノ刑ヲ滅軽又ハ免除ス

第七条 本法ノ、何人ヲ問ハス本法施行区域外二於テ罪ヲ犯シタル者二亦之ノ適用ス

2008年09月09日 (火)

今日のお題:『国体の本義』「緒言」(1937年)

   現代日本と思想問題

我が国は、今や国運頗る盛んに、海外発展のいきほひ著しく、前途弥々多望な時に際会してゐる。産業は隆盛に、国防は威力を加へ、生活は豊富となり、文化の発展は諸方面に著しいものがある。夙に支那・印度に由来する東洋文化は、我が国に輸入せられて、惟神の国体に醇化せられ、更に明治・大正以来、欧米近代文化の輸入によつて諸種の文物は顕著な発達を遂げた。文物。制度の整備せる、学術の一大進歩をなせる、思想・文化の多彩を極むる、高葉歌人をして今日にあらしめば、再び「御民吾生ける験あり天地の栄ゆる時にあへらく念へば」と謳ふであらう。明治維新の鴻業により、旧来の陋習を破り、封建的束縛を去つて、国民はよくその志を遂げ、その分を竭くし、爾来七十年、以て今日の盛事を見るに至つた。

 併しながらこの盛事は、静かにこれを省みるに、実に安穏平静のそれに非ずして、内に外に波瀾万丈、発展の前途に幾多の困難を蔵し、隆盛の内面に混乱をつつんでゐる。即ら国体の本義は、動もすれば透徹せず、学問・教育・政治・経済その他国民生活の各方面に幾多の欠陥を存し、伸びんとする力と混乱の因とは錯綜表裏し、燦然たる文化は内に薫蕕を併せつゝみ、こゝに種々の困難な問題を生じてゐる。今や我が国は、 一大躍進をなさんとするに際して、生彩と陰影相共に現れた感がある。併しながら、これ飽くまで発展の機であり、進歩の時である。我等は、よく現下内外の真相を把握し、拠つて進むべき道を明らかにすると共に、奮起して難局の打開に任じ、弥々国運の伸展に貢献するところがなければならぬ。

 現今我が国の思想上・社会上の諸弊は、明治以降余りにも急激に多種多様な欧米の文物・制度・学術を輸入したために、動もすれば、本を忘れて末に趨り、厳正な批判を欠き、徹底した醇化をなし得なかつた結果である。抑々我が国に輸入せられた西洋思想は、主として十八世紀以来の啓蒙思想であり、或はその延長としての思想である。これらの思想の根柢をなす世界観・人生観は、歴史的考察を欠いた合理主義であり、実証主義であり、一面に於て個人に至高の価値を認め、個人の自由と平等とを主張すると共に、他面に於て国家や民族を超越した抽象的な世界性を尊重するものである。従つてそこには歴史的全体より孤立して、抽象化せられた個々独立の人間とその集合とが重視せられる。かゝる世界観・人生観を基とする政治学説・社会学説・道徳学説・教育学説等が、一方に於て我が国の諸種の改革に貢献すると共に、他方に於て深く広くその影響を我が国本来の思想・文化に与へた。

 我が国の啓蒙運動に於ては、先づ仏蘭西啓蒙期の政治哲学たる自由民権思想を始め、英来の議会政治思想や実利主義・功利主義、独逸の国権思想等が輸入せられ、固陋な慣習や制度の改廃にその力を発揮した。かゝる運動は、文明開化の名の下に広く時代の風潮をなし、政治・経済・思想・風習等を動かし、所謂欧化主義時代を現出した。然るにこれに対して伝統復帰の運動が起つた。それは国粋保存の名によつて行はれたもので、澎湃たる西洋文化の輸入の潮流に抗した国民的自覚の現れであつた。蓋し極端な欧化は、我が国の伝統を傷つけ、歴史の内面を流れる国民的精神を萎靡せしめる惧れがあつたからである。かくて欧化主義と国粋保存主義との対立を来し、思想は昏逃に陥り、国民は、内、伝統に従ふべきか、外、新思想に就くべきかに悩んだ。然るに、明治二十三年「教育二関スル勅語」の渙発せられるに至つて、国民は皇祖皇宗の肇国樹徳の聖業とその履践すべき大道とを覚り、こゝに進むべき確たる方向を見出した。然るに欧米文化輸入のいきほひの依然として盛んなために、この国体に基づく大道の明示せられたにも拘らず、未だ消化せられない西洋思想は、その後も依然として流行を極めた。即ち西洋個人本位の思想は、更に新しい旗幟の下に実証主義及び自然主義として入り来り、それと前後して理想主義的思想・学説も迎へられ、又続いて民主主義・社会主義・無政府主義・共産主義等の侵入となり、最近に至つてはファッシズム等の輸入を見、遂に今日我等の当面する如き思想上・社会上の混乱を惹起し、国体に関する根本的自覚を喚起するに至つた。

 抑々社会主義・無政府主義・共差主義等の詭激なる思想は、究極に於てはすべて西洋近代思想の根柢をなす個人主義に基づくものであつて、その発現の種々相たるに過ぎない。個人主義を本とする欧米に於ても、共産主義に対しては、さすがにこれを容れ得ずして、今やその本来の個人主義を棄てんとして、全体主義・国民主義の勃興を見、ファッショ・ナチスの擡頭ともなつた。即ち個人主義の行詰りは、欧米に於ても我が国に於ても、等しく思想上・社会上の混乱と転換との時期を持来してゐるといふことが出来る。久しく個人主義の下にその社会・国家を発達せしめた欧米が、今日の行詰りを如何に打開するかの問題は暫く措き、我が国に関する限り、真に我が国独自の立場に遠り、万古不易の国体を闡明し、一切の追随を排して、よく本来の姿を現前せしめ、而も固陋を棄てて益々欧米文化の摂取醇化に努め、本を立てて末を生かし、聡明にして宏量なる新日本を建設すべきである。即ち今日我が国民の思想の相剋、生活の動揺、文化の混乱は、我等国民がよく西洋思想の本質を徹見すると共に、真に我が国体の本義を体得することによつてのみ解決せられる。而してこのことは、独り我が国のためのみならず、今や個人主義の行詰りに於てその打開に苦しむ世界人類のためでなければならぬ。こゝに我等の重大なる世界史的使命がある。乃ら「国体の本義」を編纂して、肇国の由来を詳かにし、その大精神を闡明すると共に、国体の国史に顕現する姿を明示し、進んでこれを今の世に説き及ぼし、以て国民の自覚と努力とを促す所以である。

2008年09月09日 (火)

今日のお題:日本國憲法公布の詔(1946年11月3日)

   公布の詔

 朕は、日本國民の總意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、樞密顧問の諮詢及び帝國憲法第七十三條による帝國議會の議決を經た帝國憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。
   御名御璽
    昭和二十一年十一月三日

      内閣總理大臣兼
         外務大臣    吉田 茂
      國務大臣    男爵 幤原喜重郎
      司法大臣       木村篤太郎
      内務大臣       木村 清一
      文部大臣       田中耕太郎
      農林大臣       和田 博雄
      國務大臣       齋藤 隆夫
      遞信大臣       一松 定吉
      商工大臣       星島 二郎
      厚生大臣       河合 良成
      國務大臣       植原悦二郎
      運輸大臣       平塚常次郎
      大藏大臣       石橋 湛山
      國務大臣       金森徳次郎
      國務大臣       膳 桂之助

2008年09月09日 (火)

今日のお題:國體明徴問題再聲明(1935年10月15日)

曩に政府は國體の本義に關し所信を披瀝し以て國民の嚮ふ所を明にし愈々其の成果を發揚せんことを期したり。抑々我國に於ける統治權の主體が天皇に存す事は我國體の本義にして帝國臣民の絶對不動の信念なり。

帝國憲法の上諭竝詔書の精神も亦弦に存するものと拜察す然るに漫りに外國の事例學説を援ゐて我國體に擬し統治權の主體は天皇に在さずして國家なりとし天皇は國家の機關なりとなすが如き所謂天皇機關説は神聖なる我國體に悖りその本義を誤るの甚しきものにして巖にこれを芟除せぎるべからず政教その他百般の事項總て萬邦無比なる我國體の本義を基としその眞髓を顯揚するを要す、政府は右の信念に基き茲に重ねて意のあるところを闡明し以て國家觀念を愈々明徴ならしめその實績を收める爲め全幅の力を效さんことを期す。

2008年09月09日 (火)

今日のお題:國體明徴聲明(1935年3月3日)

恭しく惟るに我國體は天孫降臨の際降し給へる御神勅に依り明示せられる所にして萬世一系の天皇國を統治し給ひ寶祚の榮は天地と倶に窮りなし,然れば憲法發布の御上諭に「國家統治ノ大權ハ天皇之ヲ祖宗二承ケテ之ノ子孫二傳フル所ナジ」と宣ひ憲法第一條には「大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と明示し給ふ即ち大日本帝國統治の大權は儼として天皇に存する事明なり若しも夫れ統治權が天皇に存せずして天皇は之を行使する爲めの機關なりとなすが如きはこれ全く萬邦無比なる我が國體の本義を誤るものなり近時憲法學説を繞り國體の本義に關聯して菟角の論議を見るに至れるな誠に遺憾に堪へず政府は愈々國體の明徴に力を致しその精華を發揚せん事を期す即ち茲に意のあるところを述べて廣く各方面の協力を希望す。

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