2010年10月17日 (日)

今日のお題:桐原健真「世界観闘争としての真宗護法論」(日本思想史学会2010年大会・パネルセッション3「近代仏教と真宗の問題」、2010 年10 月17 日、岡山市・岡山大学)

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「近代仏教と真宗の問題」と題するパネルをやりました。パネリストは以下の通り。

桐原健真(東北大学)
 「世界観闘争としての真宗護法論」

碧海寿広(宗教情報リサーチセンター)
 「近代の真宗とキリスト教―近角常観の布教戦略を事例として」

オリオン・クラウタウ(日本学術振興会)
 「真宗とアカデミズム仏教学―東京(帝国)大学を中心に」

コメンテータ: 引野亨輔(福山大学)
 
 
$FILE2_l桐原健真「世界観闘争としての真宗護法論・はじめに」

平田篤胤『出定笑語』の登場は、排仏論の反駁としての護法論を量的にも質的にも大きく変容させた。第一には、それまで「求道」という目的においては融和的であった仏教者の語りが、これらの排仏論に対してはきわめて排他的なものになった点が挙げられる。第二には、その語りがもっぱら浄土真宗の人々によって担われたという事実であり、そして第三点目が、この排他的な語りが、幕末における開国過程の中で再登場したキリスト教に対しても援用されることとなったという点である。否、むしろ幕末護法論は、国学的排仏論とキリスト教という二正面での闘いであったのであり、それは仏教そのものの存在理由を問う世界観闘争とでも言うべき様相を呈していたのである。

感想:「世界観闘争」ということばが引っかかるとは思いませんでした。まぁ、阿弥陀仏がいれば須弥山は要らないというのはわかるのですが、発言者が須弥山世界の必要性を語っている事実をどう解釈するのかという問題ですね。>そういうのを「方便」というのだよ。

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