2022年04月05日 (火)

今日のお題:大澤広嗣先生より『日本と東南アジアの仏教交流:その史実と展望』(三人社、2022年)をご恵贈戴く。

大澤広嗣先生より林行夫編『日本と東南アジアの仏教交流:その史実と展望』(三人社、2022年)をご恵贈いただきました。まことにもって有難いことです。
林行夫編『日本と東南アジアの仏教交流:その史実と展望』(三人社、2022年).png

目次
仏教交流の実相への視座(村上忠良)
日本とミャンマーの仏教交流:『入竺比丘尼』に見るネイションとジェンダー(伊東利勝)
仏教学者の上田天瑞と陸軍中将の牟田口廉也:インパール作戦の開始前後における会見(大澤広嗣)
明治期日本人僧侶の暹羅布教(中西直樹)
仏教経典をめぐる日タイ交流の史実と現実(清水洋平)
タイ仏教と日本仏教は対話できるか?」タイ仏教への掛け橋になる(神田英昭)
石井米雄と日タイ仏教交流(林行夫)
仏教の交流、比丘サンガの交流(藤本晃)

林行夫編『日本と東南アジアの仏教交流:その史実と展望』三人社、2022年
https://www.amazon.co.jp/dp/4866913754

日本と東南アジアと仏教というと、まぁつながりはあるかも知れないけど、仏教の系統が違うんでしょ? という印象をお持ちの方もおられるかと思います。

しかしながら、近代日本は、さまざまな形で、それこそ文化のみならず、経済・政治・軍事といった形で、東南アジアと関わりがあったわけでして、ある意味戦前の方が、世界的視野のある動きをしていたと申せます。まぁ、それが背伸びのしすぎだったのかは、評価の分かれるところとは思いますが。

ちなみに名古屋には、日泰寺(にったいじ)というお寺さんがございまして、こちらの山号は覚王山と申します。覚王とは、悟り(覚り)を得た王さまつまりは、お釈迦様のことでして、ここにはその遺骨ともうしますか、いわゆる仏舎利が収められております。

この仏舎利は、タイ国王から拝領したものでございまして、ですので、日泰寺(日本―泰(タイ)の寺)と言うわけです。なお創建時は日暹寺(にっせんじ)でした。当時、タイは暹羅(シャム)と呼ばれていましたので。

タイからわざわざ仏舎利がやってくる――そのことだけでもかなり興味深いところでございます。このあたりのことについて、そのむかし、ジャフィ先生のご論攷を、オリオン氏と一緒に翻訳したことがあるのですが、あのときは、まさか自分がその名古屋にやってきて、日泰寺を見ることができるとは思わなかったですよ。世の中分からないものです。

1/1