キリスト教と金城学院

A.ランドルフ 夫人
A.ランドルフ 夫人

 金城学院のスクールモットーは「主を畏れることは知恵の初め。」(箴言 第1章7節)です。また、金城学院の建学の精神は「福音主義キリスト教」に基づいています。これは16世紀の宗教改革者、更に約2000年前にお生まれになったイエス・キリストにまでさかのぼるものです。その特色は聖書を重んじる伝統と言えます。

 金城学院大学の母体は金城学院です。学院の歴史は古く、1889年にアニー・ランドルフ先生と協力者によって設立されました。ランドルフ先生は女性のアメリカ南長老派教会宣教師でした。最初は中国のキリスト教女学校で教えていましたが、病気療養を兼ねて母国に帰国する途中神戸港から上陸されました。そこで名古屋の女子教育の様子を聞き、名古屋の女性の現状と子女の教育に強い関心をもち、ついに名古屋をに来られました。先生を写真や肖像で見る限り、目は大きく、清らかで、口元はギュッと結ばれています。それらから強い意思を持つ女性であること、神を見据える信仰と愛にあふれる宣教師であることが伝わってきます。

 金城学院の基礎を築いた4人のクリスチャン教師を紹介します。
 第一は金城学院の創始者、米国長老教会宣教師アニー・ランドルフです。1889年9月に金城学院は下堅杉ノ町(現在の名古屋市東区東桜1丁目3番地付近)に「女学専門冀望館」としてわずか3人の生徒でスタートしました。また、その翌年に校名を「私立金城女学校」に改称しました。ランドルフの名は現在本学の入学式、卒業式の会場となる高い茶色の塔を持つランドルフ記念講堂として残されています。

 第二は第6代校長のエラ・ヒューストン(実質は第3代校長)です。1900年に金城学院は現在の名古屋市東区白壁町に移転し、校舎の新築と教員の補充をはかりました。彼女の名は現在大学の礼拝堂とキリスト教センターのあるエラ・ヒューストン・ホールとして残っています。

 第三はスマイス夫妻です。第二次世界大戦で焦土と化した名古屋で彼らは私財を投げ出して金城学院の復興に尽力しました。現在軽井沢の金城学院の保養施設、スマイス・ハウスに彼らの名が残っています。

 第四は第9代校長市村與市です。彼は日本人クリスチャン教員としてその生涯をイエス・キリストと金城学院に献げました。彼が就任した1915年の生徒数はわずか38人でしたが、彼が召天する1953年には4,000人を超えていました。 米国長老教会の援助により現在大学がある大森の校地は購入され、1949年に金城学院大学はスタートしました。