2011年04月17日 (日)

今日のお題:花見

西公園の方で花見の設営が始まったと以前お話しいたしましたが、今日は日和も良い日曜日で、前を通ったところ本当にたくさんのお客さん。ああ、みんな花見がしたかったんだなぁと思った次第。

まぁ、地下鉄工事だかでずいぶんとサクラが可愛くなってしまったのですが、それでもしっかりと咲いております。

戦時中は花見なんかやらなかった、あの一体感はスバラシイと仰った方がおられるそうですが、実際どうなんだろうと見てみますと、『朝日新聞』の1942年12月19日朝刊には、「花見などは戦争後だ 帝都の薪に桜の木 近県から温い友情供出」といった見出しでもって、こんな記事を載せております。


茨城県那珂郡瓜連町などは早速町常会を開き、花見は戦争が済んでから役場の構内の桜の木まで枝を払つて薪にしたり、日雇のお婆さんさへ、一束二十五銭で買ひ求め五銭損して供出値の二十銭で提出するなど、数々の美談を生んだ。


なるほど、確かに一体感でございます。しかしながらコレは、自発的にというわけではなく、次のような背景があったことを見逃してはいけません。


寒さに向かつて薪不足に悩む帝都市民への親心から内務省では近県に事務官を派遣草鞋履きで薪の援軍を求めさせたところ、農民の熱誠により、茨城県が十二月末まで二百五十万束、栃木県が十三日から二十日までに五十万束の大量供出を約束。初めの予想量三十万束をはるかに突破するといふ地方と都会を結ぶ美はしい実を結んだ。


つまり内務省の音頭でこういう「美談」が生まれた訳でございます。とは申しながら、「親心」――これは『朝日』が勝手に言っているだけですが――からコトが始まったのも事実です。翻って、はたして今や親心なるものがあるのだろうかと考えてみると、なんとも寂しい感じも致します。

ちなみに『読売新聞』では、1942年4月3日朝刊に「一枝を戦線へ 感謝にひらく桜花」といった記事を載せております。


桜が咲いた。年々歳々かはらぬ花だが、戦捷の春見る心は格別である。「この花の一枝を戦線におくりたい…」と花見る人がいふ。何はなくとも爛慢〔ママ〕たる花の下なら人は楽しい


まぁ、まだ連戦連勝の時期なので、のんきに花を見ているのかも知れません。何はなくとも花を見たいというのは人情と言えば、人情ですかね。

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