2008年09月09日 (火)

今日のお題:日米修好通商条約批准におけるアメリカ合衆国大統領宛将軍親書(1860年1月18日)

うやうやしく、亜墨利加合衆国の大統領の、みもと〔御許〕にまをす、さきに、下田奉行、信濃守源清直、目付、肥後守藤原忠震等に於〔を〕をせて、そのくにの欽差全権、巴児利斯〔ハルリス=ハリス〕とはかり、むつひののり〔睦びの則〕をさた〔定〕めて、ものうりかふ〔売買〕べき、ちぎりのしるしふみ〔条約〕、をあたへ、江戸のつかさ〔司=将軍〕に、ゆきかひ〔行き交い〕せしむ、いままた、ことに、奉行、豊前守源正興、淡路守源範正。目付、豊後等源忠順等に。ちぎりのしるしふみ〔調印書〕、をもたしめて。華盛頓のつかさ〔司=アメリカ大統領〕、に、いたらしむ。このこときはめて〔極めて〕、いたりふかくこゝろ、いとねもころ〔懇ろ〕なり。かれ〔故〕こののち、ふたくに〔二国〕の、したしみ〔親しみ〕も、いよいよあつく、まゝうひは、世々にかはらさるへし。いまこのつかひ、みたりの於み〔三人のをみ=臣〕は、さらに、ゑらひまうけ〔選び設け〕たるものにしあれは、ともに、まこゝろをのへて、ことはかられよかし。すへて、したしみをあつくし、またそのくに、たひらけく、やすけからむ〔泰平〕ことおもふにとそ。
  安政七年正月十八日
    源御諱  御判

これは日米修好通商条約批准に際して、1860(万延元)年1月に特派した使節団に、将軍が与えた親書です。このときの正使が新見豊前守正興、副使は村垣淡路守範正、総勢80余名でした。で、この親書は漢・英・和文のいずれにしようかという話になりまして、伊井直弼の一断で和文と決定しました。まぁよくもよくも和文にしたもんだという感じが致します。


修好 むつひののりをさためて、
通商 ものうりかふべき
条約 ちぎりのしるしふみ

そりゃ確かにそうでしょうけども、しかしそれはないんじゃないですか、という感じです。でも、前島密の「漢字御廃止之議」がまかり間違って通ってしまったらこうなる可能性もあったわけです。そういや、中央アジアの某国では母国語復興運動とかでそれまでロシア語とかで表記していた新語を忠実に母国語で表現してみたら大変なことになったと可ならなかったとか。たしか、電車が「カミナリの気を以て走る車」とかになったとか。気じゃダメか。漢語だからなぁ。「カミナリのちから」かな。

まぁべつに漢字の肩を持つわけでもなく、且つ漢字を排撃するわけでもありませんが、簡便であることは切に望みます。最近の漢字の民主化ってのは、新聞表記なんかがそうですけども、熟語をカナ漢混じりで書くことが民主化ってことになっているようで、どうにも気持ちが悪いです。おかげでボクらは「啓蒙」すら書けなくなったんですからイヤになってしまいます。ちなみに「啓もう」だそうです。分からない漢字をわざわざ平仮名でかいても、もともと分からない漢字なのだから書き換えるだけ無駄だと思うのですが、そこのところどうなのでしょう。昔のようにルビを振りまくれとは言いませんが、そういう配慮も必要だろうと思うのです。なんのはなしをしているんだか。

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