馬場今日子

20011

山下淳子先生

Communication Strategies:

Psycholinguistic and Sociolinguistic Perspectives

について

 

[本の紹介]

Communication Strategies (CS)は広い概念であり,その定義1つとっても様々な議論がなされていて,一つの見解に落ち着いているということがない。だからこの本を一冊読めばCSについてほとんど理解できるというわけではないと思う。しかし興味深い論文がたくさん集められているのでCSを研究する人には必読の書である。

本は3部からなっている。第一部は心理言語学的立場からのCS研究,第二部はCS研究の枠組みを広げていくような研究,第三部は社会言語学的立場からのCS研究である。Kasper & KellermanIntroductionで述べているように,最近のCS研究は心理言語学的立場と社会言語学的立場にますます分かれていって,両者の重なりが少なくなりつつある。それと同時に,CS研究は様々な分野に応用されていき,CSの概念そのものが広がっているようだ。つまりCStransferと同様,言語習得の根底にあるような概念なので,「CSの研究をする」といってもあまり意味がなく,「どんな立場からどんな目的を持ってCS研究をするか」をはっきりさせることが必要だと思う。ゆえにこの本が上に述べたような3部構成になっているのは素晴らしいと思う。

 

[各論文について]

私はこのブックレポートを書くことでこの本から学ぶべきことがなくなるとは思っていない。今後も繰り返しこの本の様々な個所に立ち戻るだろうと思う。しかしとりあえず,これからの自分の研究に参考になると思われた論文を2つ取り上げ,それについて意見を書きたい。取り上げる論文は心理言語学的な立場から書かれたDuffのもの(これは第2部に収録されている)と社会言語学的な立場から書かれたKasperのものである。

 

The lexical generation gap: A connectionist account of circumlocution in Chinese as a second language. by Duff, P. A.

語彙的なCS,特にcircumlocutionを取り上げてlocalist-connectionist modelによる説明を試みた論文である。学習者がlexical retrievalを行う際の心理言語学的な説明が今まで抽象的すぎたが,connectionistの考え方をとればもっと理論を発展させることができるだろう,と著者は述べている。

CS研究で使われる語彙的なCSをここではlexicalization strategies(LS)と呼ぶ。このLSにはsubstitutionparaphrasecircumlocutionなどが含まれる。そしてこれらのLSを駆使するにはsemantic competence(語の意味関係をうまく把握して,自分が表現できない語を他の言葉で表現する能力)が必要である。L1におけるsemantic competenceが高い人はL2においてもうまくcircumlocutionできるかもしれない。

最近の言語産出に関する研究では,心的辞書と言語産出のかかわりが重要であることを示唆している。localist-connectionist modelから考えるとcircumlocutionを効果的に行うには頭の中のネットワークにおいて素早く目的の概念と近い表現を心的辞書から探すことが必要である。これにはたくさんの概念が長期記憶に入っていて,しかもそれらの概念の間にたくさんの関連があるとよい。connectionist modelの考え方によれば,なにか概念が与えられた時,その刺激がネットワークに自由に広がり,そのようにactivateされた語の中から一語を選びだすために重み付けや制約が課される(constraint satisfaction)と想定する。そういったconstraint satisfactionの操作も重要だと考えられる。

以上のような考えを証明するために,著者が中国で中国語を学習していた時に取られた発話データを分析している。例が4つ挙げられていて,それらの例をもとに,頭の中のネットワークを図示している。興味深いのはnearの代わりにnot farと言ったことにたいする説明である。near-farのようなpolar pairは結びつきが強いのでよく想起されやすく,nearfarではfarのほうがunmarkedなのでretrieveされやすいのではないかと著者は説明している。

この研究における論証は仮説的であり,コンピューター・プログラムを使うなどしてさらに調べる必要がある。

[意見]

CSconnectionistのモデルで説明しようとした点は大変興味深く思われた。特に面白いと思ったのは,semantic competenceという概念である。これはどうやって測定するのだろうか。「L1semantic competenceが高い人はL2でも高い」というのはまだ確かめられていない仮説である,と書いてあるが,もしsemantic competenceが測定できて,本当に実験できたら面白そうだ。「L1semantic competenceが高い人はL2でも高いのではないか」という議論はCSが教授可能かどうかという議論と似ている。connectionist modelCSを詳しく説明したものだとすると,semantic competenceを調べることによってCSが教授可能かどうかを議論することもできるかもしれない。

この論文は発想は面白いが,著者も書いている通り,証拠に乏しいことが欠点である。あと残念なことは,ネットワークの図が分かり難いことと,このモデルの中にやはりformulaic linguistic knowledgeが考慮されていない点である。頭の中のネットワークは個々の語の結びつきと同じくらいイデオムやコロケーションが重要だと思う。それらの知識をどうモデルに取り込むかを知りたい。

 

Beyond reference

CSを正しく社会言語学的にとらえようとした論文。現在のところほとんどのCS研究は語彙知識とそのretrievalに焦点を当てている。しかし今一般的にstrategic competence”the ability to use linguistic knowledge efficiently”と考えられており,それに見合うようにCS研究の枠を広げるべきである。

著者はCSpragmatic communication strategies (PCS)に広げようとしている。CSという概念にはproblematicityが重要な要素である。PCSにおいてはproblematicitypragmaticなそれとなる。ネイティブスピーカー(NS)の間でもさまざまなpragmatic problemがあるが,それらは概ね解決される。なぜならNSのコミュニケーションはintraculturalだからである。しかしNSNNSのコミュニケーションはinterculturalなのでそう上手くいかない。

NNSNSとコミュニケーションをおこなう場合,言葉が多すぎたり(verbosity)少なすぎたりする(bluntness)。これらは心理言語学的にはformulaic routinesが学習者の中間言語に欠如しているからだと説明されるが,社会言語学的な説明によってよりよく説明できる。つまり,もしformulaic routinesNNSに十分あったとしても,NNSNSと共通の基盤を構築しなければならないのであり,そのことがNNSの発話に影響すると考えられる。

pragmaticsの視点から見ると,’NNS’という概念も見直しを必要とする。今まではNon-nativenessは問題としてとらえられてきた。しかしNon-nativeであることがNNSNSのコミュニケーションを円滑にしたり(Non-nativeness as resource),専門的なことが話題になっていればNon-nativeであることが全く関係なかったりもする(Non-nativeness as unattended)

結局,コミュニケーションを考える際はコンテクスト抜きには語れないのである。

[意見]

pragmaticsについてはほとんど知識がないので,この論文を十分理解することができなかったが,この論文が主張していることが「正しく社会言語学的である」ということは分かった。例えば同じ本に収められているWagner & Firthの論文は社会言語学的な立場に立っているように見えるが,CSを機械的に分析しようとしている点で「社会言語学的(あるいはinteractional)」の意味を取り違えている。私はinteractionalな立場からCSを見ることに納得がいかなかったが,このKasper氏の論文を読んで考えを改めた。

心理言語学的な研究か,社会言語学的な研究か2者択一なのではないと思う。社会言語学的な研究がCSの理解を広げるとすれば,心理言語学的な研究はCSの理解を深めるのだと考えられる。そうだとすれば,もしCSを心理言語学的な立場から研究するとしても,社会言語学的な見方を取りいれなければならないし,逆も同じであろう。