馬場今日子

20011

山下淳子先生

 

『英語教育の心理学』について

 

[本の概要]

心理学で一般的に言われている法則を英語教育に応用しようとした本である。この本は6章からなっている。1章では英語教育と心理学の関係に関して様々な側面から述べていて,心理学でもない英語学でもない英語教育学の必要性を説いている。2章では英語学力とはどういうものか,どういう風に指導すれば学力が伸びるかについて述べている。3章では様々な心理学的な考え方を実際の授業に役立てるためにはどうすれば良いかについて書かれている。4章にはパーソナリティ,発達現象,レディネスなど,英語教授に参考になりそうな概念の説明がある。5章は学力差・個人差に応じた指導をするにはどんなことに注意すべきかについて書かれている。6章は実際の英語指導をする際の技術を紹介している。7章は自主教材を作る時の心得が書いてある。8部は早期英語教育について筆者の見解がまとめてある。

 

[本全体に関する意見]

この本は理論的な本ではない。長年英語を教えている筆者が自身の経験に基づき,ところどころに心理学的な常識を混ぜながら,英語教育について語っている本である。私は一度にたくさんの生徒に英語を教えたこともないし,今は英語指導の技術についてはあまり興味がないので,ちょっと拍子抜けした。しかしところどころでなるほどと肯ける個所があった。例えばフリーズが提唱している外国語学習の3つの段階である。「第一段階は習おうとする外国語の音声組識になじむ段階で,第二段階はその外国語の構造を習得する段階であり,第三段階は語いをふやす段階だ」(p. 6)。また,大体8歳頃までは聴覚的記憶が視覚的記憶より優れていて,8歳以降はそれが逆転する,とか,中学一年生までは単純な暗記能力のほうが論理力より優れていて,中学2年生以降はそれが逆転するという心理学的法則を英語教育に生かそうとしているのは面白い。

この本について残念なことは,主に2つある。一つは,取り扱われている心理学的法則があまりにも一般的すぎて,英語教育に応用する意味があるのか疑わしい個所があったことである。例えば,だまし絵で,二人の人が顔を向きあわせているようにも台座のようにも見えるという有名なものがある。これを「英語のヒアリングにおいて全く予期しないものは聞き取ることができない」ということの説明に使っているのは説得力がない。2つめは,この本の構成があまり良くないということである。同じことが3度も4度も書かれていていらいらするし,一節ごとに作者の見解が独り言のように示されていて本全体としてのまとまりが悪い。もう少し構成を考えたら,より説得力が増したのに,と思った。

しかし,実際に英語を教える際に,この本を読めばかなり役に立つだろう。例えば,初めて英語の授業をする先生はp. 282から始まる「研究授業のポイント」はとても参考になりそうだと思った。また,この本で最も感心した点の一つは,筆者が実際の教室を利用して,さまざまな実験をおこなっている点である。これは今で言うところのアクション・リサーチのようなものだと思う。きちんと統制された,学術雑誌に載るような実験でなくとも,このような実験をすることは素晴らしい。

 

[考察]

以下では2つの問題を取り上げ,それについて考察したい。取り上げる問題はクラス編成についてと,早期英語教育についてである。

 

クラス編成について

クラス編成についての筆者の意見は,一つのクラスにさまざまな英語力を持つ学生を集めるということである。そして,教える際は一斉授業の効果はほとんどないから,グループ指導をしたほうが良いと主張している。

この本は77年に出版されているから今では筆者のように主張する人はいないのかもしれないが,1つのクラスに異なるレベルの生徒を集めるのはあまり効果がないのではないかという気がする。もしその授業の目的がイマージョン・プログラムのように英語を使って各教科を理解するというのなら,英語の成績が良い生徒と悪い生徒を一緒に指導してもかまわないだろうが,英語の能力を伸ばすのが目的なら,授業は自然に英語力の低い生徒中心になっていき,英語力の高い生徒は退屈してしまうだろう。筆者は生徒の人間関係のためにも,能力別クラスにしないほうがよいと述べているが,能力別にクラス分けをしても先生の接し方次第で(「できない」というレッテルをはったりしなければ)人間関係を悪くさせることはないのではないか。

また,一斉授業よりグループ指導のほうが,各生徒が英語を使う時間が増えるから好ましいと筆者は述べている。しかし実際には他の生徒のパフォーマンスを見ている生徒も成績が向上したという研究結果もあるくらいだから,一斉授業が好ましくないというわけではないと思う。それよりも考えるべきなのはクラスの人数なのではないだろうか。90年くらいから続いているアメリカの教育改革では,クラスの人数は18人以内を目標にしているそうだ。特に語学のクラスは人数が少なければ少ないほどよいと私は思う。1クラス30人は多すぎる。

 

早期英語教育について

筆者は早期英語教育は,母語をきちんと習得してから行うほうが好ましいので,8歳くらいを目安に指導を開始したら良いのではないかと述べている。聴覚的記憶能力と視覚的記憶能力が入れ替わるのが大体8歳くらいだし,8歳くらいになれば日本語の文字は習い終えているからである。正しい英語の音声を覚えるには8歳くらいがぎりぎりだということだ。8歳という年齢については,この本が書かれた77年と現在では考え方が異なるのかもしれない。しかしともかく私も外国語は母語を習得した後で,楽に第二言語を覚えられるぎりぎりの年齢から学習し始めるのは良いと思う。

例えば8歳から英語を学習し始めたとして,その指導法は筆者の主張する通り,「発想をまったく新しく」すべきだろう。小学校から英語教育を導入するときに,この点をよく考えなければいけないと思った。心理学では発達心理における多くの研究成果があるのだから,それを英語教育に応用するのは大変良いことだ。実はこの本を読んで心理学が英語教育に役に立つとはそんなに納得できなかったのだが,発達心理に関してはなるほどと思った。