金城学院大学 国際情報学部 KITカンボジア研修2015

← 目次へ

はじめに

 透き通った天色の空。その下に広がる緑豊かなキャッサバ畑。一見すると何の変哲も無い綺麗な風景。しかし、中央にのびる土道の両側には、数え切れないほどの殺人兵器が地の中に眠っている。そう、地雷だ。
 ここはカンボジア、バッタンバン州タサエン村。タイとの国境沿いに位置している。
 わたしはカンボジア研修で、この国が辿ってきた悲惨な歴史や、現在抱える様々な問題、その現状を変えるために懸命に活動をしている人たちなど、様々なものを見つめてきた。
 実は、まだまだ消化しきれていないことはたくさんある。けれども、焦らずに時間をかけて、自分の気持ちに少しずつ向き合っていきたい。
 10日間のたくさんの出会いが、わたしを1回りも2回りも大きく成長させてくれた。自分の感じたことを自分なりに伝えていく。これが、その出会いへの恩返しとして今のわたしに出来ることだと思っている。この文章が、カンボジアという国に対するあらゆるフィルターを外す一材料になってくれたら幸いです。

無関心が人を殺す

   キリングフィールド。ここは、ポルポト政権下のカンボジアで大量虐殺が行われた処刑場のこと。 この場所だけで約2万人もの人々が殺された。
 フィールド内にある慰霊塔にはここで殺されてしまった8985人の遺骨が安置されている。17階建ての棟の中に、ぎっしりと敷き詰められた頭蓋骨を見ると、圧倒されて言葉を失った。とても怖いと感じているのに何故か目が離せない。カメラを構えることを本当に躊躇した。やっとの思いで写真を撮り、慰霊塔を後にした。
 フィールド内を回っていく。この木はキリングツリー。何人もの幼い子供たちが、この木に頭を叩きつけられて殺害された。母親の目の前で。その時の母親の感情はわたしには計り知ることが出来ない。かけられた大量のミサンガは、ここが悼む心の折り重なった場所であること、そして、もうこんな悲惨な歴史を繰り返してはならないという平和を愛する心は世界共通であることを証明していた。

  

 次はトゥールスレン虐殺博物館へ。ここには当時、政治犯たちが収容されていた。政治犯といっても何か罪を犯した人たちではない。普通に都市で生活をしている、知識人と呼ばれる人々のことだ。何の罪もない人たちがここに収容され、拷問を受け、「反政府のものだ」と自白させ、刑務所に連れて行かれ、殺された。
 建物の中には足かせや、拷問器具、歪んだベッドが置かれていた。自分たちの立っていた部屋の隅の床には、黒い大きなシミがあった。血痕だ。各部屋には、当時の部屋の様子の写真が飾られていた。中には、死体がそのまま放置されている部屋もあった。かすかに目を開いてベッドに横たわる彼らは、最期、何を思っていたのだろうか。ショックが大きすぎて、写真を撮ることを忘れてしまっていた。
 「自分たちの歴史を若者たちが将来に伝えてくれるのはとても嬉しいことだ。」
7人の生存者の中の1人、チュン・メイさんは、当時の悲痛な記憶をわたしたちのために語ってくれた。思い出したくない過去の壮絶な記憶を人に話すと言うことは、その度にまだ完全に癒えていない心のかさぶたをはがすことと同じだ。それでも、話を聞いてくれて嬉しいというチュン・メイさんに対して申し訳なさがこみ上げてくると同時に、だからこそ学ばせて頂くという姿勢を忘れないことの大切さや、真剣に学ばなければいけないのだということを痛感した。
 チュン・メイさんは当時、この収容所の存在を知らなかったという。虐殺が行われていたことも、ここに連れてこられるまでは分からなかったと言った。トゥールスレン収容所は関係者の間でS21と呼ばれ、その存在自体を外部に漏らさないようにしていた。数々の拷問を受ける収容者たちの悲鳴が外に漏れないようにと、建物の壁はかなり厚く作られていた。キリングフィールドでも、外部に悲鳴が漏れないように、楽しげな音楽を大音量で流していたらしい。とはいえ、ポルポト率いるクメール・ルージュ政権は内戦中、全人口800万人のうち300万もの人々を虐殺しているといわれている。それだけの人が殺されて「知らなかった」というのだ。それは、『無関心は人を殺す』という言葉の行き着いた果てだった。
 内戦前のカンボジアはとても発展していたらしい。どれくらい発展していたかというと、東京オリンピックを見に来たカンボジア人が「日本がこんなに後れているとは思ってなかった。」と言うほど。日本は当時、高度経済成長期真っ最中で新幹線も開通していた。だから、カンボジアが“貧しいから”こういう歴史が生まれてしまった訳ではない。どこの国でも起こりうることだ。日本も決して例外ではないし、他人事ではないのだ。
 日本には、他人に興味のない人があまりにも多い気がするということをカンボジアに行ってから感じるようになった。あれだけ沢山の人がいるのに、誰とも目が合わない。挨拶をしない。このままでは無関心の静かな脅威は、そう遠くない未来に、わたしたちに牙をむくのかも知れない。そう考えると、とても怖くなった。だからこそ、メディアは読者の無関心を感心に変えていくという意味でも、冷静な判断を与える意味でも重要なのだと思う。わたしたちも、知ったからには伝えていかなければいけない。これが、“学ばせて頂いた方々”への恩返しになるかもしれないから。

↑ PAGE TOP

考え続けること

 タサエン村では「ポルポトはいい人だ」「大量虐殺の歴史なんて無かった」という人が多いという。これは高校の世界史や事前研修でカンボジア内戦についてある程度は学習していて、何しろ2日目のトゥールスレン虐殺博物館やキリングフィールドでポルポト政権の残虐さを目の当たりにしてきたばかりだったわたしには、すぐに受け入れられる考えではなかった。しかし実際、クメール・ルージュはベトナム戦争の影響を受け、爆撃を受けていた農村部に住む人々を救いたいという思いから出来た政権だった。虐殺の事実が変わることはないし、正当化することも許されない。ひょっとしたら、ポルポト政権がアメリカ寄りであったロン・ノル政権に対する農村部の人々の反政府感情を利用して、政権を掌握するために、このような理想を掲げていたのかもしれない。けれども、ベトナム戦争に全く関係のないカンボジアの農村部の人たちが、爆撃を受け死んでいくのはおかしい、何とかしたいという理念は理にかなったものである。
 誰かが『戦争は正義と正義のぶつかり合いだ』と言った。それぞれに異なった“正義”がある。だから、世界で戦争や内戦や紛争が根絶する日は来ないかもしれない。でも、だからこそ沢山の価値観を学び、正義の在り方をつかまなければならない。どうしたら傷を最小限にとどめることが出来るのか。どうしたら悲惨な歴史の繰り返しを回避することが出来るだろうか。勉強することの意味はそこにあると思う。考えることをやめてしまえば、学ぶことをやめてしまえば、また同じ歴史を歩んでしまうかもしれない。

見えない支え

 カンボジア シェムリアップ州。  ここにあるのは、世界中の人を魅了するアンコールワット遺跡群。
 観光客で賑わうシェムリアップ州市街地から、およそ20キロ離れた場所には…わたしたちが想像出来ないような景色が広がっていた。

 

  

 このゴミのほとんどが、世界中から訪れる年間300万人の観光客が出したものである。正直、決していい環境とは癒えない場所。けれども、この中からお金になるものを集めたり、ゴミを処理したりして生計を立てている現地の人々が実際にいる。
 観光客は、食べて、飲んで、遊んで、買って、捨てて、「楽しかったね」と帰って行く。自分たちの出したゴミが、その後どうなっていくのかも知らずに。
 わたしも、ここを訪れるまでは、明らかにその中の一員だった。その事実を知ったとき、“カンボジアのために出来ることがしたい”どころか、むしろ傷つけていたのかも知れないと、恥ずかしさでいっぱいだった。
 わたしの日常は、いつも誰かに支えられている。家族、友達、恋人、先生。だが、その“支え”は身近なものだけではない。例えばこうやって、国を超えて、性別を超えて、年齢を超えて、いろんな人のおかげでわたしたちは生きていける。わたしたちは誰かに生かされている。だが、わたしたちは普段の生活の中でその“支え”になかなか気が付かない。意識さえも出来ない。
 見えない“支え”に気が付くこと。まずは意識してみること。そして、彼らのことをよく知るために、世界中で起こっている様々な出来事に関心を持つこと。トゥールスレン虐殺博物館や、キリングフィールドでも感じた『無関心は人を殺す』という言葉のように、わたしたちには無関係なことだと考えることは、名前も知らないどこかの誰かを傷つけていることと同じなのだと思う。これが、世界のどこかでわたしを支えてくれている人たちにできることの第一歩だとわたしは思っている。

おわりに

 カンボジアの人たちはどこでもわたしたちを笑顔で受け入れてくれた。しっかり目を合わせて挨拶をしてくれた。そこにはいつも心のゆたかさがあった。
 便利な暮らし。溢れかえったもの。確かに日本は豊かな国だ。
 でも、あんなに大勢の人がいるというのに、誰も目を合わせようとしない。誰も目を見て挨拶をしてくれない。話しかけてくれない。今まで“当たり前”で、“日常”だった見慣れた日本の風景たちは、カンボジアに行ってからは“違和感”に変わっていた。ここには豊かさはあっても心のゆたかさはないのかもしれない。
 ものはいつか壊れてしまう。燃やされて灰になってしまう。空気に晒されて風化されてしまう。でも、目に見えない だけど底に確かに存在している人との絆や優しさや思いは、壊れない。灰にならない。風化しない。目に見えないからこそ しなやかな強さがある。
 目に見えるものにとらわれすぎているわたしたちには、心のゆたかさを忘れて 人に優しく出来ないわたしたちには、もう何も残らないかもしれない。
 このカンボジア研修で、本当に沢山のことを学ばせて頂いた。わたしたちは、カンボジアで起こっている様々な問題を目の当たりにしても、それを根本から変えていくことは難しいと思う。目の前に病気で苦しんでいる人がいても医者ではないわたしがそれを治すことは出来ないように。でも、出来ることが全くないわけではない。わたしに出来ることを考えて考えて…考え続けていくこと自体にも意味があると思う。
 この研修で感じている思いは時が経って、日常に戻ることで薄まっていくかもしれない。でも、時間をかけて何度も反芻しながら、考え続けていきたい。帰ってからが本当の「スタディーツアー」だから。

  

  

↑ PAGE TOP

← 目次へ