金城学院大学 国際情報学部 KITカンボジア研修2015

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2月11日。中部国際空港に着いたわたしは、とてもワクワクしていました。
カンボジア。 名古屋から約4000km離れた場所に、何があるのか、どんな人がいるのかとても楽しみでした。友達とカンボジアのことを話したり、指さし会話帳を眺めたりして、カンボジアに想いを馳せていました。

この日の夕方、カンボジアの首都であるプノンペンに着いた私は、とても驚きました。想像していた「何もない」というイメージとは全く違い、日本でもよく知るハンバーガー屋さんがあったり、背の高いビルがいくつもあったりと、とても発展している印象を受けました。
私たちがプノンペンに到着した時間はちょうど帰宅ラッシュ真っ最中で、カップルでバイクに乗り、家に帰る人たちや、家族3人で1つのバイクに乗り、談笑しながら帰る人々が多く見られました。 プノンペンの道路は舗装されており、建物にはネオンが光っていました。
“発展途上国”という印象を持っていた私はとても驚きました。
驚いたこと、悲しかったこと、悩んだこと、楽しかったことがたくさん詰まった海外研修でした。
ここには、わたしが日本に帰ってきて今でも心に強く残っていることを書き出していこうと思います。

研修初日、私たちは、ポルポト政権下時代に、大虐殺が行われ、約2万人の方が亡くなった場所である「キリングフィールド」と、刑務所であり、たくさんの人が拷問をうけた「トゥールスレン刑務所」の博物館を見学しました。
カンボジアに行く前に、少しだけ事前学習をしていましたが、実際に足を運んでみるとその感覚は全く違っていました。
キリングフィールドに足を踏み入れて初めに飛び込んできたのは、17階建ての大きな建物「慰霊塔」でした。ここには8985体のご遺骨が眠っています。それでもごく一部だそうです。
入り口でお花と線香を買い、靴を脱ぎ、帽子をとって中に入ると思わず言葉を飲みました。
私の目に飛び込んできたのは、数え切れないほどたくさんの頭蓋骨でした。
上を見上げるとそこにもたくさんの頭蓋骨が並べられていました。私はただただ圧倒されるばかりでした。ここで、この場所でこんなにもたくさんの人が苦しみ亡くなっていったのだという事実を目の当たりにしました。

知識人とその家族を殺すためにできたこのキリングフィールド。
切れ味の悪いヤシの木の葉で首を切り、苦しみながら亡くなりました。
スレインという毒のある果物を食べさせられて、簡単には死ねず、苦しみながら亡くなっていきました。
子供は直接木にぶつけられ、殺されました。

  

亡くなった方々は服のまま地面に埋められたと聞き、足元を見てみると、そこには信じられないような光景がありました。

  

足元にある白いものがこの場所で亡くなった方の遺骨で、地面からは生えている布切れが、亡くなった方の服だと理解した時。
この感情をどのような言葉で表現したらいいのかわかりません。

トゥールスレン刑務所博物館。ここではたくさんの知識人がひどい拷問にかけられ、苦しんだ場所です。
元は高校であった場所を刑務所として使っていました。
1日2回のうず湯しか食べることができず、拷問を受ける日々はどれほど辛いことだったろう、いっそ死んでしまいたいのに死ぬことを許されない、そんな毎日を、もし私自身が過ごすことになったら。想像の遥か上をいく拷問の数々に私は思考が追いつきませんでした。

この2つの施設のことは、当時”秘密”にしていました。キリングフィールドでは、周りの農村の人々に、ここで虐殺が行われていることを隠すために、楽しげな音楽を大音量で流しており、当時の人々は、キリングフィールドのことを、 “楽しいテーマパーク“だと思っていたという事実にとても驚き、狂気を感じました。
日本で、このようなことが決して起こらないとは限りません。たくさんの人がこの事実を知らない限り、同じことを繰り返してしまう可能性はとても大きい。『無関心が人を殺す』ということを実感しました。

観光地として有名なシェムリアップ。年間300万人の観光客が訪れるこの場所には、ゴミを処理する場所がありません。私たちは、トゥクトゥクに乗って40分、シェムリアップじゅうのゴミが集まった場所に行くことができました。

  

ここには、ゴミを拾い、分別することで生計を立てている方々がたくさんいました。大量に積み上がったゴミと漂う腐敗臭に言葉を失い、さらに、ここに集まったゴミはほとんど観光客のものだということを聞き、とてもショックを受けました。長時間ゴミの中にいることで、嗅覚が麻痺してしまったり、足場も衛生的にも良くはなくて、病気を患ってしまったりすることも多いそうです。そんなゴミ山の中で、一人の少女がいました。彼女は親がここで働いているため、一緒についてきていました。

  

わたしはこのゴミ山に向かう前、ホテルでサンダルをゴミ箱に入れました。特に何も考えずに、ただ「自分の荷物が軽くなればいいや」とばかり思っていました。ゴミ山の現状を知り、ホテルに帰ってきたわたしは、ゴミ箱の前で考えました。この現状は、残念ながらすぐに解決する問題ではないから、このサンダルを捨てることで、少しでもそこで働いている人の力になることができるなら捨てていったほうがいい。けれど、こんなことを繰り返していてはこの都市にあるゴミ山はいつまで経っても消えない。わたしは結局スーツケースにサンダルをしまいました。けれど、どちらがその方々にとって力になれるのか。どちらの方が正しいのか。答えはまだ見つかっていません。
でも、彼らのために今わたしができることを考え、悩み続けることが大切だと、そう感じました。

カンボジアでは、「こんにちは」と「ありがとう」をたくさん言いました。
行く先々にあるもの全てがとても新鮮で、刺激的で。
そんな私たちをとても暖かく迎えてくださった現地の方々。
絶対に誰かと目が合い、微笑みかけてくれて、挨拶を交わし合う。

日本では、すれ違う人に「おはようございます。」と声をかけたのなら、きっと怪訝そうな顔をされてしまうだろう。
でもそれが普通であって、あたりまえのことでした。
カンボジアという地に降り立って気付いたことは、カンボジアに住む一人一人が人と人との繋がりをとても大切にしているということです。
「カンボジアって何もない国です。だからこそ最後に残るのは、人との繋がりだけなのです。」
わたしはこの言葉を聞いた時、とてもショックでした。
それと同時に、今までわたしが人に対して平気でとっていた行動の数々が頭に浮かびました。
家に帰るのが遅くなってしまったわたしのことを心配する母からのメッセージがスマートフォンに届いた時、わたしはそれを見なかったことにして、返事を返さずにいたこと。
友達と話していて、自分の弱いところを突かれた時、少し冷たい口調で友達に当たってしまったこと。
わたしのためを思って注意してくださる人に対してムッとし、きちんと話を聞かずにないがしろにしてしまったこと。
家族や友達さえも適当な態度で接しているわたしには、一体最後に何が残るんだろう。

きっと何も残らない。

帰国後、空港に降り立った時今まで感じたことのない「寂しさ」を実感しました。
これだけたくさんの人がいるのに、誰とも目が合わない。
微笑みあうこともなければ、挨拶を交わしあうこともない。
カンボジアという国が恋しくなり、涙が出そうでした。

血は繋がっていないけれど、家族のように接し合う。
カンボジアは、そんな素敵な場所でした。

日本にもこんなにあったかくて優しい場所が増えたらいいなと心から思いました。
じゃあそのためにどうしたらいいのか。
わたしにできることを考えて、行動に移していけたらと思います。

  

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