2016年07月17日 (日)

今日のお題:桐原健真「書評:米原謙著『国体論はなぜ生まれたか : 明治国家の知の地形図』」『日本歴史』2016年06号、817号、107-109頁

目次
序 章 国体論という磁場
第1章 「国体」の発見
第2章 神々の欲望と秩序――幕末国学の国体論
第3章 「地球上絶無稀有ノ国体」を護持するために――岩倉具視の構想
第4章 自由民権運動と明治初期の言論空間
第5章 歴史認識をめぐる抗争――明治二〇年代の国体論
第6章 裕仁皇太子の台湾行啓――「一視同仁」の演出

近世から近代を越えた議論は大変だなぁということを改めて思うわけでございます。
 したがって、その筆はおのずから長いスパンを覆うこととなる。事実、本書に登場する人物や事件は、江戸中期の儒学者である荻生徂徠から摂政宮裕仁の台湾行啓(一九二三)にまで及ぶ。

 こうした試みは、極めて野心的なものであり、筆者のような学識を俟って初めて可能なものであると言えよう。なぜならば、日本歴史の叙述において、近世と近代の間には、あまりにも大きな文法(ディシプリン)の相違が横たわっているからである。

 かつて福沢諭吉は、維新後のみずからを省みて、「一身にして二生を経るが如く一人にして両身あるが如し」(「文明論之概略緒言」一八七五)と喝破した。近世と近代という時代は、政治的・社会的環境はもとより、文字通り文法も大きく異なる。こうした両者を架橋した叙述は、タコツボのなかでの語りを専らとするものには困難な作業であると言ってよい。

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