2010年06月13日 (日)

今日のお題:桐原健真「幕末維新期尊攘論における国際社会認識の転回――「帝国」言説をめぐって」、韓日文化交流基金/東北亜歴史財団主催「1910年、その以前の100年:韓国と日本の西洋文明受容」(於大韓民国仁川市・パラダイスホテル、2010年6月12日?13日)

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台湾・日本につづき韓国でも「帝国」言説論を開陳してきました。

Negri&HardtEmpire(2000)が『帝国』として東アジア諸国で翻訳されたことがじつに奇妙だ――というあたりから出発。

2001年 韓国 『제국〔帝国〕』(윤수종訳・ソウル:理学社)
2002年 台湾 『帝国』(韋本ほか訳・台北市:商周出版)
2003年 中国 『帝国――全球化的政治秩序』(楊建国ほか訳・南京:江蘇人民出版社)
2003年 日本 『〈帝国〉── グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性』(水嶋一憲ほか訳・東京:以文社)

めずらしく日本が一番遅いのも面白い話です。

ちなみに、伝統的に漢字文明圏に位置するベトナムにおいても、Empireは「帝国đế quốc」だそうです。

参照:http://www.tapchithoidai.org/200402_THDung.htm

今回のキモは、「やっぱり福沢はすごいな」、ということと「でも、だから受容されないんだな」ということ――なんでしょうか。

とにかく、国学者の「帝国」論をやらないと――と思っているのですが、どこからやったものか。というか、別の文脈で、排仏論の文脈でも国学を検討しないといけないので、キツイです。

(写真:霧にむせぶ仁川港)

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