2017年04月21日 (金)

今日のお題:桐原健真「アジアはどこにあるのか―言説史的考察―」、ユーラシア研究センター編『奈良に蒔かれた言葉と思想。』、2017年3月、33-38頁

こちらは、「2016 NARA-EURASIA Institute's Report : no.3、「近世・近代の思想研究会」調査研究レポート」ということになっております。

この前書いた小文で暢気にしていたら、「アレはダイジェスト版であって、本チャンのブツを書いてもらわないと困ります」と言われてしまったもの。その節は、ご迷惑おかけ致しました。というか、そもそも、そのダイジェスト版ですら送ったつもりで自分にしか送ってなかったという体たらく。でも、たくさん書けて良かった良かった。で、冒頭の一部。

「アジア」ということばから、人はどのようなイメージを抱くであろうか。個人的な話で恐縮だが、まだインターネット経由による航空券手配が一般的ではなかった時代、海外出張の手続きのために赴いた小さな旅行会社で、開口一番「アジアに行きたい」と注文している客を見かけたことがある。はたしてこの人にとって、「アジア」はどこに存在していたのだろうか。確かに言えることは、その客にとって、みずからの足もとはアジアでは無かったらしいということである。

ちなみに、こうした或る意味で「ムチャぶり」な要求に対応した旅行会社のスタッフが提示したのは、東南アジアや南アジアあたりのパンフレットであり、客もそれを肯(うべな)っていた。それを見ていて――隣のブースを見ると言うのは、余り行儀が宜しくないのは分かるが、それが不可避なほどに小さな旅行会社だったのだと弁明はしておきたい――「ああなるほど、これが世間一般のアジアなのだなぁ」と妙に納得した記憶がある。

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